2010年06月21日

魂の一期一会

<魂の一期一会>  記 中尾彰秀   詩人・ピアニスト・ヒーラー

「随分昔のことだが、食品公害を調査するお方が身体に有害である〇〇に、
問い合わせしたところ、人間の身体には中和力があるから大丈夫だと返事
された。立派な下痢便いや詭弁に唖然とさせられたが、翻って詩とは音楽と
は一見矛盾だらけの存在を中和することだと新ためて思う。〇〇のサギ説法
ではない。存在そのものの奥まりの静かな宇宙一体の波動に共鳴ることがそ
の意味である。

 魂を休め癒す平和心。古今東西ジャンルを超え、既に成されているもの。
それを、自ら体験すること。

 まずはピアノインプロヴィゼイション。私の奏じる音楽は、強烈な哀しみにあふ
れつつ救いに至る。音楽構造を成す以前の音そのものの段階からそうなってい
る。どこのどの音をどう出そうが自分の音階、音域であり、後はその時のひらめ
きに従って組み立てるだけ。ひらめきの時点で既に音楽はありそれゆえ失敗が
ない。二十数年前、初めてピアノに触れて奏じた一曲「近藤オジさん」は、いず
れ研究熱心な学者が分析するに違いない。霊的能力者は、過去の誰それとの
たまうにせよ、私は私である。

 詩とのセッションにては、詩に触れた(読んだ)瞬間、音楽となって聴こえ手が
自動的に動く。このシステムは、人間がこしらえたお勉強に基ずくいわゆる音楽
ではない。天降りのもの、宇宙に内包されたシステムなのである。

 私は常つね思っている感謝に満たされた永遠の生命の実感、魂の一期一会
によってこれは可能なのだと。今、この文章は「しとしとの地球」および「宇宙桜
との対話」「アランフェスの鼓童」(何れも新作ピアノCD)を聴きながら書いた。

 さて、次は詩について。詩は書こうとしてはならない。日常に於いて、奥深き魂
の癒しを持つことが詩である。この紙面に向かいて、今私はそれに至っているの
だろうか。ボールペンのきっ先に聞いてみる。

 意図された上っ面の意味にとらわれず・・・・・・(次回に続く)
  


Posted by nakao at 18:25Comments(0)芸術