2011年10月24日

詩人和田杳子

<詩人 和田杳子> 記 中尾彰秀             詩人・ピアニスト・ヒーラー

  雑感アンソロ(6)     「アンソロジー風Ⅹ 2011」 竹林館 より

      主(あるじ)はもし主ならば、責任持って地球を守らねばならない。
      ところが、主でもないのに主だと勘違いして、さんざん地球を痛め
      付けてきた人間。その人間たちの原動力つまり動機は、金儲け。
      戦争も自然破壊も原発もことごとく金儲けが目的だ。
      かくなる人間の強欲を知ってか知らずか、大自然で自らの生態を
      慈しむ河鹿蛙。かつて、大自然はイコール神であった。実は、今も
      そうである。それを知り、そう生きることが必要不可欠である。

           「河鹿蛙」       和田杳子

<もう二度と立てない位に やせ細った母の足を撫でながら 河鹿蛙の美しい声を聞いている
 心臓へと少しでも血が流れるように そっと指に力を入れて

 東京の大空襲の中 妹を抱いて猛煙をくぐった母の足 一家五人の命を支えるため 食材不
 足の台所をさまよう母の 細い足を薄い毛布でくるみ 温めながら聞く河鹿蛙の美しいテノール

 焦土と化した東京から 京都に帰ってきて住んだ山間の村の川のほとり 貴船を源とする渓流が
 一筋下るここ二の瀬

 冬眠から覚めた五月の日暮れ 初めは 遠くに 近くに やがてのびやかに声を揃え 一斉に鳴き
 出す河鹿蛙 

 無防備な小さな身体から迸るテノール 風に乗り 天から降るように聞こえてくる声 ひゅるる ひゅ
 るる るるるるる 「どこで鳴いているのかしら」 「お母さん、家の前はきれいな川 清らかな水の川
 上で 河鹿は決まった岩に集まって鳴くと聞きました」

 繊細な無数の鈴 幾百本の細い名笛 この世のものでない小鳥の声のように 山間に響き谺し
 ひゅるる ひゅるる るるるるる 生者も病者も死者をも浄める 天上からの声

 そして盛夏のある日 淀んだ水の石陰や野草の根に卵を託し ふと山間の闇に声は消えてしまう
 
 ・・・・・>  


Posted by nakao at 16:59Comments(0)芸術