2013年05月09日

ハッタリと後退

<ハッタリと後退> 記 中尾彰秀                   詩人・ピアニスト・ヒーラー

 スポーツでは
 ハッタリは
 効を制することがある
 しかし
 文化芸術においては
 一切のハッタリは
 後退の要因になる

 私の面前で
 様々のハッタリをした
 愛すべき友人たち

 (1) 音楽に詳しい人ほど
    実は音楽無知。彼らは実は
    既成のアルバムの曲を聴き覚えているだけで
    その枠を超えた本物の創造性を全く知らない。
    マイルスデイビスの「オンザコーナー」
    ジャンコルトレーンの「インプレッション」
    前衛の極みのこの二つを解さずして
    中尾彰秀ピアノインプロヴィゼイションを
    評することはできない。

 (2) 詩に詳しい人ほど、頑張っている詩人ほど
    実は詩を知らない。理知や感情を超えた波動
    こそが詩のあるいは人生の本質だから。
    まどみちおの”どこでも内宇宙”を理解せずして
    中尾彰秀の詩を評することはできない。
    人生を理解することはできない。
    有名詩人がどうのこうのと偉そうに評するあなたは
    偽詩人偽批評家偽人間。

 (3) 基本的に肉は食さない。と言いつつ私は嫌々
    宴会に参加するが、桜沢如一氏の腸造血論が
    今ブームになっている。自然食がいかに大事か。
    まさにハッタリである暴飲暴食の詩人は、あっと
    言う間に滅ぶ。

 (4) かつてインプロヴィゼイションしていたなどとうそぶく
    方もいるが、かつてのフリージャズは暗黒世界から
    抜け出た癒された浄化次元でなく、単なる遺物なのだ。
    本質はヒーリングであり、単純な一音にも深い音域が
    あれば立派なインプロヴィゼイションである。
    いまここにある神聖。

 (5) 物的リアリズムの方々は未だに小さな派閥で暗澹と
    頑張っているが、ぜひ一生に一度でも物象を超えた
    癒しの光に触れていただきたい。ひらめきのあの詩語
    はリアリティーがないというセリフ言い飽きたでしょう。
  


Posted by nakao at 16:30Comments(1)芸術