2011年10月31日
10の奇跡5
<10の奇跡(5)> 記 中尾彰秀
感情でも抒情でもない
魂の真実に根ざした
波動音楽は
波動詩波動芸術とともに
今後ますます
世界に展開される
かつての前衛でなく
宇宙一体癒し波動ヒーリングとして
高石ライブでは
あらためて
それを確信した
中尾彰秀第19ピアノCD
「夜明けの砂浜で宇宙の背ビレを」
森羅通信の会出版 定価1000円
近日発売!!
感情でも抒情でもない
魂の真実に根ざした
波動音楽は
波動詩波動芸術とともに
今後ますます
世界に展開される
かつての前衛でなく
宇宙一体癒し波動ヒーリングとして
高石ライブでは
あらためて
それを確信した
中尾彰秀第19ピアノCD
「夜明けの砂浜で宇宙の背ビレを」
森羅通信の会出版 定価1000円
近日発売!!
2011年10月31日
10の奇跡4
<10の奇跡(4)> 記 中尾彰秀
詩がダイレクトに
音楽となる
それは
不思議でも何でもない
存在全てこの世で
哀しみを帯びてあるのだが
背後の共鳴波動に入れば
音楽は出でるのだ
マジシャンが
ガラスコップの横から
コインを入れるように
インドの教祖が
掌から
金を降らすように
詩がダイレクトに
音楽となる
それは
不思議でも何でもない
存在全てこの世で
哀しみを帯びてあるのだが
背後の共鳴波動に入れば
音楽は出でるのだ
マジシャンが
ガラスコップの横から
コインを入れるように
インドの教祖が
掌から
金を降らすように
2011年10月31日
10の奇跡3
<10の奇跡(3)> 記 中尾彰秀 詩人・ピアニスト・ヒーラー
東スグをろうろうと流れる
芦田川の紛れもないせせらぎ
ひょっとしたら見逃してしまう
小さな川の
至高の音楽
せせらぎは
何事も柔らかく包み角を取り
丸い宇宙哲学背負って
あの世からここにやって来た
ここからまた
何処かへ還る
今ここにありながら
遥かなるもの
意識を超えた宇宙の透明
私の一兆億細胞に入り
漂い漂い歌う歌う
鍵盤に触れるまでもなく
弾ける幻 玄 原 弦
静けさに満ち満ちて
東スグをろうろうと流れる
芦田川の紛れもないせせらぎ
ひょっとしたら見逃してしまう
小さな川の
至高の音楽
せせらぎは
何事も柔らかく包み角を取り
丸い宇宙哲学背負って
あの世からここにやって来た
ここからまた
何処かへ還る
今ここにありながら
遥かなるもの
意識を超えた宇宙の透明
私の一兆億細胞に入り
漂い漂い歌う歌う
鍵盤に触れるまでもなく
弾ける幻 玄 原 弦
静けさに満ち満ちて
2011年10月31日
10の奇跡2
<10の奇跡2> 記 中尾彰秀 詩人・ピアニスト・ヒーラー
ピアノは生き物
その日その時の
本体と場と気候によって
違う音色がする
20年以上前のヤマハG3グランド
大ホールと言う空間の広さ
床は講堂の様な板
大空は曇りから晴れに向かう
熱くもない適温
これまでオーソドックスな調律だったのだ
伸びやかな自然な柔らかさ
さあ どうぞ
あなたが奏じるのではない
あなたを介して
癒しの音楽が天より
降って来るのです
ピアノは生き物
その日その時の
本体と場と気候によって
違う音色がする
20年以上前のヤマハG3グランド
大ホールと言う空間の広さ
床は講堂の様な板
大空は曇りから晴れに向かう
熱くもない適温
これまでオーソドックスな調律だったのだ
伸びやかな自然な柔らかさ
さあ どうぞ
あなたが奏じるのではない
あなたを介して
癒しの音楽が天より
降って来るのです
2011年10月31日
10の奇跡1
<10の奇跡(1)> 記 中尾彰秀 詩人・ピアニスト・ヒーラー
通称「高石ライブ」
2011年10月22日
高石市立中央公民館での
「ピアノコンサート&朗読・歌 愛と癒しと魂の調べ
--------ピアニスト 中尾彰秀 を迎えて-------」に於いては
10の奇跡があったので
記録と感謝として
(1)から(10)を詩的に記す。
南海高石駅から公民館への
徒歩8分の道筋は
既にあった
天からの指図受け
真昼の燐光放ちつつ
どうぞ行きなさい
自然食品の拠点たるギャラリー「虹」で
500円クリームシチュー定食食べ
道添い井上教室の黒いグランドピアノの写真
大手振り道を歩くピアノの発見
着いた時私は全身
鱗光りしていた
通称「高石ライブ」
2011年10月22日
高石市立中央公民館での
「ピアノコンサート&朗読・歌 愛と癒しと魂の調べ
--------ピアニスト 中尾彰秀 を迎えて-------」に於いては
10の奇跡があったので
記録と感謝として
(1)から(10)を詩的に記す。
南海高石駅から公民館への
徒歩8分の道筋は
既にあった
天からの指図受け
真昼の燐光放ちつつ
どうぞ行きなさい
自然食品の拠点たるギャラリー「虹」で
500円クリームシチュー定食食べ
道添い井上教室の黒いグランドピアノの写真
大手振り道を歩くピアノの発見
着いた時私は全身
鱗光りしていた
2011年10月29日
大堀タミノ詩集
<大堀タミノ詩集> 記 中尾彰秀 詩人・ピアニスト・ヒーラー
みんなの人生を至福にする百の詩集(31)
「空の道」 大堀タミノ詩集 編集工房ノア 2009年 1600円+税
A5版 13篇 62ページ
内なる宇宙持つが故、日々の暮らしに奥深さを見出す。
決して言葉が先立たず、深き理を見出そうとしている。
「深遠な玄米」
<単調で耳ざわりな音 炊飯器のごはんが炊き上がった となりの部屋に
眠る耳を起さねばならない 米が立ち上がって知らせる 薄っすらと
半透明になって炊けた米は 泡をぶつぶつ跳ねあがらせることもなく
何かを堪えているかのように静かだ 殻を脱いだ米を 「玄米」と人は呼ぶ
玄とは何か 玄は「黒色 微妙で深遠な理」と 辞典に記されている
玄と言う現象があって玄米があるのか 最初に米があって玄が発生するのか
ぐるぐる廻る 思考 幽玄も 玄義も 同じ種から たんぼから ----------->
そもそも食物にも身体にも石、砂にも何にでも内なる宇宙
がある。玄米にも宇宙があるから、食べて健康に良い。
放射能を帯びていない玄米は、放射能排泄作用もあると
のこと。玄米パワー。
みんなの人生を至福にする百の詩集(31)
「空の道」 大堀タミノ詩集 編集工房ノア 2009年 1600円+税
A5版 13篇 62ページ
内なる宇宙持つが故、日々の暮らしに奥深さを見出す。
決して言葉が先立たず、深き理を見出そうとしている。
「深遠な玄米」
<単調で耳ざわりな音 炊飯器のごはんが炊き上がった となりの部屋に
眠る耳を起さねばならない 米が立ち上がって知らせる 薄っすらと
半透明になって炊けた米は 泡をぶつぶつ跳ねあがらせることもなく
何かを堪えているかのように静かだ 殻を脱いだ米を 「玄米」と人は呼ぶ
玄とは何か 玄は「黒色 微妙で深遠な理」と 辞典に記されている
玄と言う現象があって玄米があるのか 最初に米があって玄が発生するのか
ぐるぐる廻る 思考 幽玄も 玄義も 同じ種から たんぼから ----------->
そもそも食物にも身体にも石、砂にも何にでも内なる宇宙
がある。玄米にも宇宙があるから、食べて健康に良い。
放射能を帯びていない玄米は、放射能排泄作用もあると
のこと。玄米パワー。
2011年10月29日
詩人の自家発現
<詩人の自家発現> 記 中尾彰秀 詩人、ピアニスト、ヒーラー
「アンソロジー風Ⅹ」に基ずいて
「雑感アンソロ」1~10 をやっと終えた。
投稿された142篇全てを評することは出来ぬまま。
受賞の二人(青木はるみ、藤谷恵一郎)と世話人(左子真由美、佐古祐二、蔭山辰子
近藤摩耶、中尾彰秀)をあえて外して。
しかし、
詩を通じた熱い魂と普遍性を、伝えることが出来たと確信している。
詩人は独自性を生かして、どんどん他のいろんな分野に出でるべく
言葉はその為の基になる。アンソロジーはその可能性を、示唆している。
意味と言う地平では、あらゆる意味を詩は持っているから。
「アンソロジー風Ⅹ」に基ずいて
「雑感アンソロ」1~10 をやっと終えた。
投稿された142篇全てを評することは出来ぬまま。
受賞の二人(青木はるみ、藤谷恵一郎)と世話人(左子真由美、佐古祐二、蔭山辰子
近藤摩耶、中尾彰秀)をあえて外して。
しかし、
詩を通じた熱い魂と普遍性を、伝えることが出来たと確信している。
詩人は独自性を生かして、どんどん他のいろんな分野に出でるべく
言葉はその為の基になる。アンソロジーはその可能性を、示唆している。
意味と言う地平では、あらゆる意味を詩は持っているから。
2011年10月27日
詩人 飛鳥彰
<詩人 飛鳥彰> 記 中尾彰秀 詩人・ピアニスト・ヒーラー
雑感アンソロ(10) 「アンソロジー風Ⅹ 2011」 竹林館 2500円 より
「詩人の時代」 飛鳥彰
<詩の朗読が憭原の火となってあちこちに燃え広がる
ことばにいのちが吹き込まれ さまざまな形をとって燃えあがる
明日はあなたが舞台に立つ番だ いま居る場所を愛しながら
明日は君がスポットライトを浴びる番だ 生きる瞬間を煌めかせ
明日はきみとぼくがどこかのライブハウスの天井桟敷から
詩人たちをながめている日だ 星の誕生する銀河を見るように
明日はぼくが詩篇をたずさえて神戸や京都の町や大阪の路地を
風に吹かれて歩く 黄色いリボンを巻いた帽子をまぶかにかぶり
明日はあまたのことばがぼくのいのちの奥のその奥の
不思議の泉から火の束となって湧いてきたりする日となるだろう
明日は若いきみたちが年老いたものと蔵の中の古書を繙くように
詩など楽しく愉快に語り合う日だ 喫茶スワンの椅子にもたれて
ぼくたちはアーモンドや杏やさくらが色ずく春の野外音楽堂にも
青い鵜鵜が水を飲み ひまわりが黄色を噴き上げる夏の岸辺にも
女体に描かれた火の鳥のようにさざなみに病葉が浮かぶ秋の黄昏にも
オリオンが天下る冬の夜にもすべてのものに光と影を見るだろう
ぼくたちは哀しいほどに陰と陽を感じ太陽と月と星を感じるだろう
生と死を感じ病と老いを感じるだろう 記憶と郷愁のはざまで
そして 再び光を感じるだろう しかし それらはすべて光なのだ
ぼくたちをとりまくすべてのものが いまいるこの場所に
今は詩の世紀 詩人の時代だ! 大地が震裂し大津波が襲う時代に
そっと胸の奥から声を出してみる 胸の泉が言葉の矢を噴き上げる
一陣の風がサルスベリの木をしなやかにしならせて吹き抜けていく
ようやく詩人の時代がやってきた 地より湧き出る詩人の時代が!>
長詩。説明ではあるが誰にも解るという利点がある。
なお、的を得ているのだ。
飛鳥氏は言わば、インターネットの貴公子。名を検索
すれば出てくる。詩 映像 フュージョン風の作曲。
世界的な「ポエムシュールロマンチシズム賞」受賞。
* 前項の詩人川中實人は、「雑感アンソロ(9)」の表示を忘れました。
雑感アンソロ(10) 「アンソロジー風Ⅹ 2011」 竹林館 2500円 より
「詩人の時代」 飛鳥彰
<詩の朗読が憭原の火となってあちこちに燃え広がる
ことばにいのちが吹き込まれ さまざまな形をとって燃えあがる
明日はあなたが舞台に立つ番だ いま居る場所を愛しながら
明日は君がスポットライトを浴びる番だ 生きる瞬間を煌めかせ
明日はきみとぼくがどこかのライブハウスの天井桟敷から
詩人たちをながめている日だ 星の誕生する銀河を見るように
明日はぼくが詩篇をたずさえて神戸や京都の町や大阪の路地を
風に吹かれて歩く 黄色いリボンを巻いた帽子をまぶかにかぶり
明日はあまたのことばがぼくのいのちの奥のその奥の
不思議の泉から火の束となって湧いてきたりする日となるだろう
明日は若いきみたちが年老いたものと蔵の中の古書を繙くように
詩など楽しく愉快に語り合う日だ 喫茶スワンの椅子にもたれて
ぼくたちはアーモンドや杏やさくらが色ずく春の野外音楽堂にも
青い鵜鵜が水を飲み ひまわりが黄色を噴き上げる夏の岸辺にも
女体に描かれた火の鳥のようにさざなみに病葉が浮かぶ秋の黄昏にも
オリオンが天下る冬の夜にもすべてのものに光と影を見るだろう
ぼくたちは哀しいほどに陰と陽を感じ太陽と月と星を感じるだろう
生と死を感じ病と老いを感じるだろう 記憶と郷愁のはざまで
そして 再び光を感じるだろう しかし それらはすべて光なのだ
ぼくたちをとりまくすべてのものが いまいるこの場所に
今は詩の世紀 詩人の時代だ! 大地が震裂し大津波が襲う時代に
そっと胸の奥から声を出してみる 胸の泉が言葉の矢を噴き上げる
一陣の風がサルスベリの木をしなやかにしならせて吹き抜けていく
ようやく詩人の時代がやってきた 地より湧き出る詩人の時代が!>
長詩。説明ではあるが誰にも解るという利点がある。
なお、的を得ているのだ。
飛鳥氏は言わば、インターネットの貴公子。名を検索
すれば出てくる。詩 映像 フュージョン風の作曲。
世界的な「ポエムシュールロマンチシズム賞」受賞。
* 前項の詩人川中實人は、「雑感アンソロ(9)」の表示を忘れました。
2011年10月27日
未知との遭遇
<未知との遭遇> 記 中尾彰秀 詩人・ピアニスト・ヒーラー
未知との遭遇と言えば
なお懐かしく
UFO研究家でバッハフルート奏者の
和田高幸氏に誘われ
前大阪文化情報センターで
その映画のテーマ曲を入れたライブをしたことがある
時は30年程前
感情でもない何んとも言えぬ曲は
立派な波動音楽である
この曲がつい先日
京都祇園円山公園の前で
市バスの開いたドアから聞こえた
関西詩人協会のライブ出演で
急ぎ足の途上
京都の文化は
誰でも知っている伝統だけでなく
新しい創造があり
伝統そのものの中にすら
未知との遭遇がある
と言わんばかりに
未知との遭遇と言えば
なお懐かしく
UFO研究家でバッハフルート奏者の
和田高幸氏に誘われ
前大阪文化情報センターで
その映画のテーマ曲を入れたライブをしたことがある
時は30年程前
感情でもない何んとも言えぬ曲は
立派な波動音楽である
この曲がつい先日
京都祇園円山公園の前で
市バスの開いたドアから聞こえた
関西詩人協会のライブ出演で
急ぎ足の途上
京都の文化は
誰でも知っている伝統だけでなく
新しい創造があり
伝統そのものの中にすら
未知との遭遇がある
と言わんばかりに
2011年10月26日
詩人川中實人
<詩人 川中實人> 記 中尾彰秀 詩人・ピアニスト・ヒーラー
天才現代美術家の天才詩は、いささか難しい。
恐らく、誰も解読しないし、出来ないだろうから、ここに解読する。
「球体」とは、地球・宇宙・ロランのガラス玉遊戯。
何だか、川中氏は映画「マトリックス」のネロの様な気で
この詩を書いたのであろう。ネロとは救世主。
地球及び人類の歴史を魂として分析し、凝縮描写。
地球存在とはつまり、シュールな悩みの怪物。
球体奥深くにある超絶とは、悩みを超え浄化した
まさしく宇宙一体波動エネルギー。
今こそ、人間は、波動を高め世界を造る。
そのものとして生きることだ。
「そのものとして生きよ」 川中實人
< 球体はあらゆるモノやコトを表層に乗せ
流転の回廊を巡ってここまでやってきた
微かな気配たちは目的も意味も不定形のまま
進む方向を定めて時を刻むしかなかった
噴出するマグマの火焔に烈しく焙られ
屹立する氷河の半透明に閉じ込められ
季節は曖昧に展開してみずからを仮相し
色彩は沈黙のままのたうっていた
四十億年の光陰は時を喰らっては吐き出し
生成と消滅の節理を映し出している
イノチが生まれ増殖しながら多様に展開し
水に溶け土に消え入ることで再生する
血流は途切れなく時の迷路をくぐり抜け
意味を考えるイノチが顕われてくる
意味は時空の拡がりに明滅しながら浮遊し
変転を繰り返し魂に近ずこうとしている
球体は己自身をも破壊する超絶の質量を
核心の奥深くに潜ませている
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
イノチはここまでやってきた
道筋の意味は問わずともよい
あるがままのすがたで
そのものとして生きよ>
天才現代美術家の天才詩は、いささか難しい。
恐らく、誰も解読しないし、出来ないだろうから、ここに解読する。
「球体」とは、地球・宇宙・ロランのガラス玉遊戯。
何だか、川中氏は映画「マトリックス」のネロの様な気で
この詩を書いたのであろう。ネロとは救世主。
地球及び人類の歴史を魂として分析し、凝縮描写。
地球存在とはつまり、シュールな悩みの怪物。
球体奥深くにある超絶とは、悩みを超え浄化した
まさしく宇宙一体波動エネルギー。
今こそ、人間は、波動を高め世界を造る。
そのものとして生きることだ。
「そのものとして生きよ」 川中實人
< 球体はあらゆるモノやコトを表層に乗せ
流転の回廊を巡ってここまでやってきた
微かな気配たちは目的も意味も不定形のまま
進む方向を定めて時を刻むしかなかった
噴出するマグマの火焔に烈しく焙られ
屹立する氷河の半透明に閉じ込められ
季節は曖昧に展開してみずからを仮相し
色彩は沈黙のままのたうっていた
四十億年の光陰は時を喰らっては吐き出し
生成と消滅の節理を映し出している
イノチが生まれ増殖しながら多様に展開し
水に溶け土に消え入ることで再生する
血流は途切れなく時の迷路をくぐり抜け
意味を考えるイノチが顕われてくる
意味は時空の拡がりに明滅しながら浮遊し
変転を繰り返し魂に近ずこうとしている
球体は己自身をも破壊する超絶の質量を
核心の奥深くに潜ませている
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
イノチはここまでやってきた
道筋の意味は問わずともよい
あるがままのすがたで
そのものとして生きよ>
2011年10月26日
中尾彰秀京都
<中尾彰秀・京都> 記 中尾彰秀 詩人・ピアニスト・ヒーラー
イベント名 関西詩人協会イベント2011
日時 2011年10月2日 午後
場所 京都きよみず花京か
主催 関西詩人協会
内容 講演 詩朗読 写真の映像 書のビデオ セッション
当方は 詩朗読と音楽(キーボード奏)のセッション
プレミアム付きのヤマハキーボードを奏じつつ
詩集「静かな背ビレ」よりの詩篇「星のことば」を朗読
シュールな波動エネルギーの発現となる
尾崎まこと氏の詩朗読とのキーボードセッションも実施
電子機器の楽器は基本的に使ってはいけないが
ピアノがなければないで使うことがある
収録を聴いてみれば、深さも波動も出せているので
難関の踏み絵のごとく、却って自信を得る
得てして、詩人の主催するイベントにはピアノがない
ピアノインプロヴィゼイションの価値を解っていない詩人が
いまだに多いということなのか、それはいかんでー
音楽とは、人の曲を上手に奏じてナンボのものだと
思っているのだろうか、時代はもう違うのに
詩人が奏じる音楽は、世界唯一、魂の進化として
これからの歴史を作る
今回の収録は、中尾彰秀第20ピアノアルバムに入れます。
イベント名 関西詩人協会イベント2011
日時 2011年10月2日 午後
場所 京都きよみず花京か
主催 関西詩人協会
内容 講演 詩朗読 写真の映像 書のビデオ セッション
当方は 詩朗読と音楽(キーボード奏)のセッション
プレミアム付きのヤマハキーボードを奏じつつ
詩集「静かな背ビレ」よりの詩篇「星のことば」を朗読
シュールな波動エネルギーの発現となる
尾崎まこと氏の詩朗読とのキーボードセッションも実施
電子機器の楽器は基本的に使ってはいけないが
ピアノがなければないで使うことがある
収録を聴いてみれば、深さも波動も出せているので
難関の踏み絵のごとく、却って自信を得る
得てして、詩人の主催するイベントにはピアノがない
ピアノインプロヴィゼイションの価値を解っていない詩人が
いまだに多いということなのか、それはいかんでー
音楽とは、人の曲を上手に奏じてナンボのものだと
思っているのだろうか、時代はもう違うのに
詩人が奏じる音楽は、世界唯一、魂の進化として
これからの歴史を作る
今回の収録は、中尾彰秀第20ピアノアルバムに入れます。
2011年10月25日
中尾高石ライブ
<中尾 高石ライブ> 記 中尾彰秀 詩人・ピアニスト・ヒーラー
2011年10月22日(土)
南海高石駅に降り立つやいなや
既に始まっていたイベント
25年前実施した
「中尾彰秀気踏写真展」は二つ隣
浜寺公園駅ギャラリーでだった
特急で通過してしまうから
もうほとんど忘れていたが
記憶の片鱗は光彩を放って
脳髄を走り回る
聞けばギャラリーは
今も続いているという
会場たる高石市中央公民館への道すがら
500円のシチューランチは
「ギャラリー虹」にて
自然食品流通の拠点とのこと
これからピアノライブですと言うと
あ、それ 井上先生にパンフもろてるで、と来た
人生は意識より先に食べ物ですね
名セリフ残し
この途上、井上ピアノ教室があった
生駒山を遠景に公園の西
静かに立つ中央公民館
2F大ホールは自動移動椅子
ピアノはCⅢでなくGⅢ ヤマハグランド
昔のピアノの良き自然な音響に加え
耳を澄ますと
聞こえる 聞こえる
川のせせらぎ
芦田川
海から来て海へ還る川
宇宙から来て宇宙へ還る川
生と死永遠を循環する川
体内を常に循環する川
宇宙一体
本物の音楽は
既にここにあり
愛と癒しと魂の調べ
中尾彰秀ピアノコンサート&詩朗読
内なる大自然より
やって来る やって来る
ピアノインプロヴィゼイション
アンド 波動の詩たち
当日は百人を越える入場者に驚かされる
企画していただいた
詩人吉田定一氏と松井館長
出演の音楽家・詩人の方々に
深く感謝いたします。
詳細は
改めての、公表・発表と記録において
といたします。
2011年10月22日(土)
南海高石駅に降り立つやいなや
既に始まっていたイベント
25年前実施した
「中尾彰秀気踏写真展」は二つ隣
浜寺公園駅ギャラリーでだった
特急で通過してしまうから
もうほとんど忘れていたが
記憶の片鱗は光彩を放って
脳髄を走り回る
聞けばギャラリーは
今も続いているという
会場たる高石市中央公民館への道すがら
500円のシチューランチは
「ギャラリー虹」にて
自然食品流通の拠点とのこと
これからピアノライブですと言うと
あ、それ 井上先生にパンフもろてるで、と来た
人生は意識より先に食べ物ですね
名セリフ残し
この途上、井上ピアノ教室があった
生駒山を遠景に公園の西
静かに立つ中央公民館
2F大ホールは自動移動椅子
ピアノはCⅢでなくGⅢ ヤマハグランド
昔のピアノの良き自然な音響に加え
耳を澄ますと
聞こえる 聞こえる
川のせせらぎ
芦田川
海から来て海へ還る川
宇宙から来て宇宙へ還る川
生と死永遠を循環する川
体内を常に循環する川
宇宙一体
本物の音楽は
既にここにあり
愛と癒しと魂の調べ
中尾彰秀ピアノコンサート&詩朗読
内なる大自然より
やって来る やって来る
ピアノインプロヴィゼイション
アンド 波動の詩たち
当日は百人を越える入場者に驚かされる
企画していただいた
詩人吉田定一氏と松井館長
出演の音楽家・詩人の方々に
深く感謝いたします。
詳細は
改めての、公表・発表と記録において
といたします。
2011年10月25日
詩人香山雅代
<詩人 香山雅代> 記 中尾彰秀 詩人・ピアニスト・ヒーラー
雑感アンソロ(8) 「アンソロジー風 Ⅹ」 竹林館より
この世の存在は、あらゆるものがあの世と表裏一体である。
雪にせよ。
生死一如、生きることは常に死をはらんで
なお、深い所は何処か遠い所ではなく
ここなのだ。
ふかいところ----------ふところ にあり
この指先の一点だ。
日常にそれを認識することは
人生を本物にする。
それを疑うものは、気功・レイキをし
本質の愛を深めましょうね。
瞑想は勿論。
日常ではない演劇風景あるいは
お能の一場面たる
一篇の詩。
「アルカデイア・雪ん子」 香山雅代
<はらり ふぅわり
絶えまなく 音無しの 切片が 降りてくる
にびいろの空から はら はらと それは とおく ふかいところからやってきて
消えてゆく 清楚な ふだん着と あたりに透ける懐かしい声を のせて
あわい闇のなかから 洩れる 不確かな光 春浅い庭の 瑞枝に垂る 雪の朝
雪ん子の 夢みる瞳が 嘆息もやらずねむっているおばあさんの頬にかさなる
漂泊の妖精が 無意味な訣別を告げにやってきた
絶えまなく あの世と この世を 紡ぐ 音無しの 切片が 降りてくる
くる年も ゆく年も 齢を 重ねて はら はらと 雪ん子は おばあさんの嘆息を
包んで 消えてゆく>
雑感アンソロ(8) 「アンソロジー風 Ⅹ」 竹林館より
この世の存在は、あらゆるものがあの世と表裏一体である。
雪にせよ。
生死一如、生きることは常に死をはらんで
なお、深い所は何処か遠い所ではなく
ここなのだ。
ふかいところ----------ふところ にあり
この指先の一点だ。
日常にそれを認識することは
人生を本物にする。
それを疑うものは、気功・レイキをし
本質の愛を深めましょうね。
瞑想は勿論。
日常ではない演劇風景あるいは
お能の一場面たる
一篇の詩。
「アルカデイア・雪ん子」 香山雅代
<はらり ふぅわり
絶えまなく 音無しの 切片が 降りてくる
にびいろの空から はら はらと それは とおく ふかいところからやってきて
消えてゆく 清楚な ふだん着と あたりに透ける懐かしい声を のせて
あわい闇のなかから 洩れる 不確かな光 春浅い庭の 瑞枝に垂る 雪の朝
雪ん子の 夢みる瞳が 嘆息もやらずねむっているおばあさんの頬にかさなる
漂泊の妖精が 無意味な訣別を告げにやってきた
絶えまなく あの世と この世を 紡ぐ 音無しの 切片が 降りてくる
くる年も ゆく年も 齢を 重ねて はら はらと 雪ん子は おばあさんの嘆息を
包んで 消えてゆく>
2011年10月24日
詩人竹野政哉
<詩人 竹野政哉> 記 中尾彰秀 詩人・ピアニスト・ヒーラー
雑感アンソロ (7) 「アンソロジー風Ⅹ 2011」 竹林館 定価2500円
この詩篇に込められた真実。
山の頂に立つとは、何と人間中心の
幼稚な征服欲であることか。
恥じるべし!!
わたしとは 日々 あなたへ 還ること
地球へ帰ること
かつて、山男には惚れるなよ
てな歌があったが
現代は、詩人に惚れよ、である。
「登る」 竹野政哉
<生まれた子らの声を背に 登る
長くゆるい統計グラフのけだるさ
急傾斜の怒鳴り声 躒に捕われ 虫たちに騒ぎ立てられ 幹を折り 花に見とれ
けつまずきながら ゆく
あいさつは交わす 視線あわさず コーヒーを飲む 配分考えず 空を仰ぐ ほととぎす
も見えず
追い越されるばかり 追い越すことはない あせって また けつまずく
ひざが震える みずから 選ぶしかない 進路を ゆく
木々が低まる 視野が広がる 蝉の声が 澄む
陽はたしかに傾きはじめる
星星を飛ぶ鷲を背に くだる
いまだ頂に立ったことがない
それでいい
わたし とは
日々 あなたへ帰ることだ>
雑感アンソロ (7) 「アンソロジー風Ⅹ 2011」 竹林館 定価2500円
この詩篇に込められた真実。
山の頂に立つとは、何と人間中心の
幼稚な征服欲であることか。
恥じるべし!!
わたしとは 日々 あなたへ 還ること
地球へ帰ること
かつて、山男には惚れるなよ
てな歌があったが
現代は、詩人に惚れよ、である。
「登る」 竹野政哉
<生まれた子らの声を背に 登る
長くゆるい統計グラフのけだるさ
急傾斜の怒鳴り声 躒に捕われ 虫たちに騒ぎ立てられ 幹を折り 花に見とれ
けつまずきながら ゆく
あいさつは交わす 視線あわさず コーヒーを飲む 配分考えず 空を仰ぐ ほととぎす
も見えず
追い越されるばかり 追い越すことはない あせって また けつまずく
ひざが震える みずから 選ぶしかない 進路を ゆく
木々が低まる 視野が広がる 蝉の声が 澄む
陽はたしかに傾きはじめる
星星を飛ぶ鷲を背に くだる
いまだ頂に立ったことがない
それでいい
わたし とは
日々 あなたへ帰ることだ>
2011年10月24日
詩人和田杳子
<詩人 和田杳子> 記 中尾彰秀 詩人・ピアニスト・ヒーラー
雑感アンソロ(6) 「アンソロジー風Ⅹ 2011」 竹林館 より
主(あるじ)はもし主ならば、責任持って地球を守らねばならない。
ところが、主でもないのに主だと勘違いして、さんざん地球を痛め
付けてきた人間。その人間たちの原動力つまり動機は、金儲け。
戦争も自然破壊も原発もことごとく金儲けが目的だ。
かくなる人間の強欲を知ってか知らずか、大自然で自らの生態を
慈しむ河鹿蛙。かつて、大自然はイコール神であった。実は、今も
そうである。それを知り、そう生きることが必要不可欠である。
「河鹿蛙」 和田杳子
<もう二度と立てない位に やせ細った母の足を撫でながら 河鹿蛙の美しい声を聞いている
心臓へと少しでも血が流れるように そっと指に力を入れて
東京の大空襲の中 妹を抱いて猛煙をくぐった母の足 一家五人の命を支えるため 食材不
足の台所をさまよう母の 細い足を薄い毛布でくるみ 温めながら聞く河鹿蛙の美しいテノール
焦土と化した東京から 京都に帰ってきて住んだ山間の村の川のほとり 貴船を源とする渓流が
一筋下るここ二の瀬
冬眠から覚めた五月の日暮れ 初めは 遠くに 近くに やがてのびやかに声を揃え 一斉に鳴き
出す河鹿蛙
無防備な小さな身体から迸るテノール 風に乗り 天から降るように聞こえてくる声 ひゅるる ひゅ
るる るるるるる 「どこで鳴いているのかしら」 「お母さん、家の前はきれいな川 清らかな水の川
上で 河鹿は決まった岩に集まって鳴くと聞きました」
繊細な無数の鈴 幾百本の細い名笛 この世のものでない小鳥の声のように 山間に響き谺し
ひゅるる ひゅるる るるるるる 生者も病者も死者をも浄める 天上からの声
そして盛夏のある日 淀んだ水の石陰や野草の根に卵を託し ふと山間の闇に声は消えてしまう
・・・・・>
雑感アンソロ(6) 「アンソロジー風Ⅹ 2011」 竹林館 より
主(あるじ)はもし主ならば、責任持って地球を守らねばならない。
ところが、主でもないのに主だと勘違いして、さんざん地球を痛め
付けてきた人間。その人間たちの原動力つまり動機は、金儲け。
戦争も自然破壊も原発もことごとく金儲けが目的だ。
かくなる人間の強欲を知ってか知らずか、大自然で自らの生態を
慈しむ河鹿蛙。かつて、大自然はイコール神であった。実は、今も
そうである。それを知り、そう生きることが必要不可欠である。
「河鹿蛙」 和田杳子
<もう二度と立てない位に やせ細った母の足を撫でながら 河鹿蛙の美しい声を聞いている
心臓へと少しでも血が流れるように そっと指に力を入れて
東京の大空襲の中 妹を抱いて猛煙をくぐった母の足 一家五人の命を支えるため 食材不
足の台所をさまよう母の 細い足を薄い毛布でくるみ 温めながら聞く河鹿蛙の美しいテノール
焦土と化した東京から 京都に帰ってきて住んだ山間の村の川のほとり 貴船を源とする渓流が
一筋下るここ二の瀬
冬眠から覚めた五月の日暮れ 初めは 遠くに 近くに やがてのびやかに声を揃え 一斉に鳴き
出す河鹿蛙
無防備な小さな身体から迸るテノール 風に乗り 天から降るように聞こえてくる声 ひゅるる ひゅ
るる るるるるる 「どこで鳴いているのかしら」 「お母さん、家の前はきれいな川 清らかな水の川
上で 河鹿は決まった岩に集まって鳴くと聞きました」
繊細な無数の鈴 幾百本の細い名笛 この世のものでない小鳥の声のように 山間に響き谺し
ひゅるる ひゅるる るるるるる 生者も病者も死者をも浄める 天上からの声
そして盛夏のある日 淀んだ水の石陰や野草の根に卵を託し ふと山間の闇に声は消えてしまう
・・・・・>
2011年10月23日
詩人清水マサ
<詩人 清水マサ> 記 中尾彰秀 詩人・ピアニスト・ヒーラー
雑感アンソロ(5)
戦争は人間を、気狂わせる。
しかし、戦争に至るまでの人間の経済競争・独占競争こそ
既に、狂気以外の何物でもない。
ましてや、戦場の中においても、知恵ある人は、人を殺さなかったと
伝え聞く。
詩も音楽も芸術も人間自体も
平和の魂たる、知恵を深め広めるべく
この世にあることを、忘れてはならない。
改めて、その確信を強化する一詩あり。
「夏の夜の記憶」 清水マサ
<・・・・・・真夜中 空襲警報のサイレンで目が覚めた 村中が明かりを消した漆黒の
空に サーチライトが交叉する光の帯を見た 光に捕らえられたアメリカの飛行機B29
B29が撃墜されたと家族が声高に話していた 家から五キロほど北にある小さな集落
の 憎しみのるつぼにあえなく墜ちた飛行機 勝者の過信が起こした想定外の誤算
翌日学校から帰ると 目隠しをされ両手を縛られたB29の兵士達が トラックに乗せら
れ村道を通った 今も残る幼い日の恐怖と哀しみ
あれから66年 古傷から血が滴るように 記憶を喚起させる一編の文献に遭遇した
捕虜となったアメリカ兵を殴打し続けた村の男たち 兵士の両脚を男達が
一杯に開き女達が絶叫しながら兵士の股間を蹴り辱めた トラックが通る
道筋では待ち構えていた村人が竹槍や鳶口で兵士達に襲いかかった
精神を病んで死んでいった兵士 生きて祖国に帰っても悪夢にうなされ続
けた兵士 千年の静かな村の歴史の中で起こった一夜の暴力
戦争が人間を悪魔に豹変させた悲劇の村 「竹槍の村」 は箔箔と流れる大河に沿って
今もひっそりとある>
雑感アンソロ(5)
戦争は人間を、気狂わせる。
しかし、戦争に至るまでの人間の経済競争・独占競争こそ
既に、狂気以外の何物でもない。
ましてや、戦場の中においても、知恵ある人は、人を殺さなかったと
伝え聞く。
詩も音楽も芸術も人間自体も
平和の魂たる、知恵を深め広めるべく
この世にあることを、忘れてはならない。
改めて、その確信を強化する一詩あり。
「夏の夜の記憶」 清水マサ
<・・・・・・真夜中 空襲警報のサイレンで目が覚めた 村中が明かりを消した漆黒の
空に サーチライトが交叉する光の帯を見た 光に捕らえられたアメリカの飛行機B29
B29が撃墜されたと家族が声高に話していた 家から五キロほど北にある小さな集落
の 憎しみのるつぼにあえなく墜ちた飛行機 勝者の過信が起こした想定外の誤算
翌日学校から帰ると 目隠しをされ両手を縛られたB29の兵士達が トラックに乗せら
れ村道を通った 今も残る幼い日の恐怖と哀しみ
あれから66年 古傷から血が滴るように 記憶を喚起させる一編の文献に遭遇した
捕虜となったアメリカ兵を殴打し続けた村の男たち 兵士の両脚を男達が
一杯に開き女達が絶叫しながら兵士の股間を蹴り辱めた トラックが通る
道筋では待ち構えていた村人が竹槍や鳶口で兵士達に襲いかかった
精神を病んで死んでいった兵士 生きて祖国に帰っても悪夢にうなされ続
けた兵士 千年の静かな村の歴史の中で起こった一夜の暴力
戦争が人間を悪魔に豹変させた悲劇の村 「竹槍の村」 は箔箔と流れる大河に沿って
今もひっそりとある>
2011年10月23日
詩人下前幸一
<詩人下前幸一> 記 中尾彰秀 詩人・ピアニスト・ヒーラー
「アンソロジー風 2011」 竹林館 定価2500円 2011年 より
雑感アンソロ(4)
「めまい」
<ふわっと 視界が揺らいだ 運転席の春
軽いめまいに 物思いの 足がとられた
風景がたわみ そのポケットに落ちてしまった 想定の外 何か深いところで
2011年3月11日午後2時45分 大阪、路上にて
「非」の影が 今この場所に兆す 非日常 非合理 非想定 非正規 非現実 非存在
「非」の影が繁茂する
行き場のない問いが ゆらり足元に降りてくる
トラックの荷台が揺れた 風が通り抜けた と、思った
音もなく海が引き やがて断崖の速度で 殺到するもののことを
物思いの遥か東北で 物語も風景も 消えてしまった
深い一瞬のめまいに>
地球と身体は、結びついている。
多くの人は、地球の反対側の大災害にすら
頭痛など何らかの体調変化で、シグナルが来る。
この事実を、我々人間は知っておく必要がある。
偉そうに知識人振るあなたは特にね。もちろん政治家も。
会社の社長も。知事も市長も大臣も首相も。常識として。
詩人が知らなかったら、ただの恥である。
この詩人の場合、心にある非が、東北大震災に共鳴した。
科学的には、地球磁場変動による体内電磁波反応だ。
しかし、風景は消えたのではない。
地球創生のごとく、これから新たに出来てくるし、今現在も
風景である。別に大災害地を見に行かなくとも、私は30数年
前滞在したインド・ネパールにおいて、大自然の人間の生死
超え呑み込む地球エネルギーを目の当たりにし、魂の故郷に
している。
「アンソロジー風 2011」 竹林館 定価2500円 2011年 より
雑感アンソロ(4)
「めまい」
<ふわっと 視界が揺らいだ 運転席の春
軽いめまいに 物思いの 足がとられた
風景がたわみ そのポケットに落ちてしまった 想定の外 何か深いところで
2011年3月11日午後2時45分 大阪、路上にて
「非」の影が 今この場所に兆す 非日常 非合理 非想定 非正規 非現実 非存在
「非」の影が繁茂する
行き場のない問いが ゆらり足元に降りてくる
トラックの荷台が揺れた 風が通り抜けた と、思った
音もなく海が引き やがて断崖の速度で 殺到するもののことを
物思いの遥か東北で 物語も風景も 消えてしまった
深い一瞬のめまいに>
地球と身体は、結びついている。
多くの人は、地球の反対側の大災害にすら
頭痛など何らかの体調変化で、シグナルが来る。
この事実を、我々人間は知っておく必要がある。
偉そうに知識人振るあなたは特にね。もちろん政治家も。
会社の社長も。知事も市長も大臣も首相も。常識として。
詩人が知らなかったら、ただの恥である。
この詩人の場合、心にある非が、東北大震災に共鳴した。
科学的には、地球磁場変動による体内電磁波反応だ。
しかし、風景は消えたのではない。
地球創生のごとく、これから新たに出来てくるし、今現在も
風景である。別に大災害地を見に行かなくとも、私は30数年
前滞在したインド・ネパールにおいて、大自然の人間の生死
超え呑み込む地球エネルギーを目の当たりにし、魂の故郷に
している。
2011年10月21日
詩人三浦千賀子
<詩人 三浦千賀子> 記 中尾彰秀 詩人・ピアニスト・ヒーラー
哲学的考察と抒情は友人である。
真友どころか前世からの未来からの
貴重な友である。
さらに、内なる宇宙が伴えば、それを
魂の友(ソウルフレンド)という。
抒情が魂に響き得ることを
証明するための
雑感アンソロ(3)
「白い軌跡」 三浦千賀子
<ガラスの外の 音の無い世界に 雪は降り積もる
桜の裸木にも 山茶花の垣根にも ベランダの屋根にも
雪は その白さや冷たさの内に すでに さみしさや孤独を
抱え込んでいるのに 音もたてず 路面に吸い込まれていく
空の高みから 尽きることなく つぎつぎと湧いてくる 白い
花びらは つのる思いの深さのようでもあるが ことさら己を
主張もせず 風の意のまま吹き寄せられる
ベッドに縛り付けられて 病院の窓からボタン雪を見た幼い日
失恋の後の大雪の日 凍えながらどこまでも歩いた少女の日
雪の世界は幼いころからの憧れ こころの軌跡のように 降り積
もってきた白いもの 置き去りにされた者たちの幻影 私の心の
奥に潜むシンとした世界
部屋の中では ストーブの上の薬缶から 盛んに湯気が上がって
いる>
最後の手前節が、この詩のテーマ。雪の
シンとした世界にある神がかりの奇跡に
感銘している。奇跡は軌跡。幼い頃は体
当たり、大人になってから意味が解る。
しかし、内なる大自然のエネルギーは、決
して潜んでなどいない。我々人間に、すさま
じい至福をもたらしているこの現実に、私は
ワナワナと震えている。命の声。無限の静け
さ。白い軌跡。
哲学的考察と抒情は友人である。
真友どころか前世からの未来からの
貴重な友である。
さらに、内なる宇宙が伴えば、それを
魂の友(ソウルフレンド)という。
抒情が魂に響き得ることを
証明するための
雑感アンソロ(3)
「白い軌跡」 三浦千賀子
<ガラスの外の 音の無い世界に 雪は降り積もる
桜の裸木にも 山茶花の垣根にも ベランダの屋根にも
雪は その白さや冷たさの内に すでに さみしさや孤独を
抱え込んでいるのに 音もたてず 路面に吸い込まれていく
空の高みから 尽きることなく つぎつぎと湧いてくる 白い
花びらは つのる思いの深さのようでもあるが ことさら己を
主張もせず 風の意のまま吹き寄せられる
ベッドに縛り付けられて 病院の窓からボタン雪を見た幼い日
失恋の後の大雪の日 凍えながらどこまでも歩いた少女の日
雪の世界は幼いころからの憧れ こころの軌跡のように 降り積
もってきた白いもの 置き去りにされた者たちの幻影 私の心の
奥に潜むシンとした世界
部屋の中では ストーブの上の薬缶から 盛んに湯気が上がって
いる>
最後の手前節が、この詩のテーマ。雪の
シンとした世界にある神がかりの奇跡に
感銘している。奇跡は軌跡。幼い頃は体
当たり、大人になってから意味が解る。
しかし、内なる大自然のエネルギーは、決
して潜んでなどいない。我々人間に、すさま
じい至福をもたらしているこの現実に、私は
ワナワナと震えている。命の声。無限の静け
さ。白い軌跡。
2011年10月21日
詩人おれんじゆう
<詩人 おれんじゆう> 記 中尾彰秀 詩人・ピアニスト・ヒーラー
詩は言葉ではない。
生き方である。
その普遍的哲学的証明としての
雑感アンソロ(2)
春の風----------遊
夏の風----------押
秋の風----------哀愁
冬の風----------忍
風の色いろいろあり
風にさらされる人間も
一匹の虫の如く
地球という
優しい空気抱く大風呂敷の中で
風と遊ぶ
そして自らの内にある風と
いつしか同化する
「風さん」 おれんじゆう
<春の風 見上げる空は さくらいろ
そよそよ吹く風は すみれ たんぽぽと 遊んでいるよ
風さん 私の頬を そっと 撫でて行った
夏の風 見上げる空は おれんじいろ きらきら吹く風は
サルビアの花たちと お話してる
風さん 私の背中を そっと押して行った
秋の風 見上げる空は あかねいろ さらさら吹く風は
赤いもみじたちと 鬼ごっこしてる
風さん 私のスカート そっと ゆらして行った
冬の風 見上げる空は ゆきのいろ
木枯らし吹く風は カラコロロン落ち葉たちと 歌っているよ
風さん 私の肩を そっと たたいて行った>
「アンソロジー風Ⅹ 2011」 竹林館 より
詩は言葉ではない。
生き方である。
その普遍的哲学的証明としての
雑感アンソロ(2)
春の風----------遊
夏の風----------押
秋の風----------哀愁
冬の風----------忍
風の色いろいろあり
風にさらされる人間も
一匹の虫の如く
地球という
優しい空気抱く大風呂敷の中で
風と遊ぶ
そして自らの内にある風と
いつしか同化する
「風さん」 おれんじゆう
<春の風 見上げる空は さくらいろ
そよそよ吹く風は すみれ たんぽぽと 遊んでいるよ
風さん 私の頬を そっと 撫でて行った
夏の風 見上げる空は おれんじいろ きらきら吹く風は
サルビアの花たちと お話してる
風さん 私の背中を そっと押して行った
秋の風 見上げる空は あかねいろ さらさら吹く風は
赤いもみじたちと 鬼ごっこしてる
風さん 私のスカート そっと ゆらして行った
冬の風 見上げる空は ゆきのいろ
木枯らし吹く風は カラコロロン落ち葉たちと 歌っているよ
風さん 私の肩を そっと たたいて行った>
「アンソロジー風Ⅹ 2011」 竹林館 より
2011年10月21日
詩人吉田享子
<詩人 吉田享子> 記 中尾彰秀 詩人・ピア二スト・ヒーラー
半死半生の詩界に
魂の普遍性を持たらす為の
雑感アンソロ(1)
「アンソロジー風Ⅹ 2011」 竹林館 2500円+税 より
「ひらがなのように」 吉田享子
<そのかなしみの深さを 私は知らない けれども その人は ほほえみながら泣いた
そのよろこびの大きさを 私は知らない けれども その人はなみだを流しながら笑った
私はいつもおどろかされる がんばらなくてもいいよねって いいながら
ほつほつとがんばって・・・
ひらがなのように生きている人>
音楽ユニット「天の羊」が、風フェスティバルに於いて、
この詩を作曲し歌ってくれたのだ。とてつもなく美しい歌。
そのままテレビに出てもオーケイの様な。12月18日(日)
”風”イン「MAG」にては、ゲスト・吉田享子さんなので、
収録したCDを再生いたします。お楽しみに。
「ひらがな」の様に生きるとは、自らの魂の生き方を貫く事
か。大自然に生かされ、自らの奥深いものを生かし共鳴さ
せながら。漢字とひらがなの違いは何か。漢字は頭の理知。
ひらがなは身体宇宙一体のエネルギー。後者の欠ける現代
だから、さてさてさて。
半死半生の詩界に
魂の普遍性を持たらす為の
雑感アンソロ(1)
「アンソロジー風Ⅹ 2011」 竹林館 2500円+税 より
「ひらがなのように」 吉田享子
<そのかなしみの深さを 私は知らない けれども その人は ほほえみながら泣いた
そのよろこびの大きさを 私は知らない けれども その人はなみだを流しながら笑った
私はいつもおどろかされる がんばらなくてもいいよねって いいながら
ほつほつとがんばって・・・
ひらがなのように生きている人>
音楽ユニット「天の羊」が、風フェスティバルに於いて、
この詩を作曲し歌ってくれたのだ。とてつもなく美しい歌。
そのままテレビに出てもオーケイの様な。12月18日(日)
”風”イン「MAG」にては、ゲスト・吉田享子さんなので、
収録したCDを再生いたします。お楽しみに。
「ひらがな」の様に生きるとは、自らの魂の生き方を貫く事
か。大自然に生かされ、自らの奥深いものを生かし共鳴さ
せながら。漢字とひらがなの違いは何か。漢字は頭の理知。
ひらがなは身体宇宙一体のエネルギー。後者の欠ける現代
だから、さてさてさて。