2011年07月07日

村上詩通信

<村上詩通信> 記 中尾彰秀          詩人・ピアニスト・ヒーラー

 腰抜かしたらあかんで
 この狭い地震大国日本に
 54基あるんやて
 現地の人の大半は賛成したんやて
 その中に子供やペットは含まれてない
 お金の輝きに魅せられ
 建ててはいけないものを
 建ててしまった
 事故による放射能被害は
 まだまだこれからだ
 思うのだ
 人間は吉野の杉を
 面と向かって
 拝めるだろうかと

    「吉野の杉」

<杉の産地吉野は 樽丸林業地と呼ばれた。 吉野の植林は室町の頃に
 始まるが 灘の酒を樽に詰めて 江戸に運ぶために 吉宗の頃から 一気
 に広まった。 杉の赤い心材部分に含まれるタンニンが 酒に溶け込んで
 木香と言う芳香を醸して喜ばれた。 長期保存上 樽の漏れを防ぐため年輪
 に平行に材を採る。 板目採りという。 そのために年輪の詰まった杉に育て
 る。 詰め込んで植える密植である。 成長が抑えられるので 細い枝しか出
 来ず 節の少ない木に育つ。 そして間伐を繰り返し 山守によって 手間をか
 けて 育てられるのである。 今日も吉野の杉は 急峻な斜面に スクラムを
 組む。>
           「村上詩通信」№122
           上下4枚の山の写真に囲まれて
           A41紙に記された詩。  


Posted by nakao at 17:24Comments(0)芸術