2010年12月31日

2010年を振り返って

<2010年を振り返って> 記 中尾彰秀     詩人・ピアニスト・ヒーラー

 まずは
 天地宇宙創造神様に
 この一年間
 私なる未熟者を
 生かしてくれたことに
 深く感謝いたします。
 そして
 やさしく見守っていただいている
 実に多くの方々に
 深く感謝をいたします。

 2010年は
 かなりの部分を
 実現できました。
 
 各地での詩朗読会の継続
 ピアノソロ、セッションの実施
 詩集(現20冊)及び詩誌の出版
 当ブログのすさまじき進展----http://earthpoemproject.ikora.tv/
 ピアノCD出版(現15枚)
 最も源とみなしている瞑想・気功・レイキの継続

 そもそも、この世界・宇宙
 失敗は成功の歯車に組み込まれています
 ゆえに、人生は成功するしかありません。
 天下唯一無双
 EARTHPOEMPROJECTだから!!  


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2010年12月31日

ウイングス京都

(ウイングス京都)  記 中尾彰秀        詩人・ピアニスト・ヒーラー

 2010年12月11日(土)
 「ウイングス京都」にて詩朗読会
 主催・現代京都詩話会

 {ゲスト出演} 左子真由美---------心の奥の透明感溢れる閃いた詩。
          船曳秀隆--------ほんの部分を切り取って、そこに人生の
                   機微や情念を描く詩。
          近藤麻耶--------物や事を積み重ねて、そこに遙かなものを
                   見出す詩。
          中尾彰秀---------一点に宇宙あり。森羅万象はついに自らで
                    ある。シュール+リアリズムな詩。

 当日は、それぞれの個性を生かした朗読。
 書き言葉だけで、詩は完結するが、発声と言う身体を楽器にした朗読と
 その詩より発する音楽演奏などが加味され、ひらめきつつ影響を受け合
 うとセッションとなって、全く新しい創造が出現する。

 ちなみに、私は、30年前のキーボードを持参しいくつかの詩朗読とセッシ
 ョンをいたしました。フルート音採用。こうぼう筆を選ばず。もちろん初めての
 曲がお出になられまして、楽しめたのです。詩から音楽が出現する瞬間。前
 もって創ったものは半分以上死んでいる。
                   
   


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2010年12月29日

TAOやな京都

<TAOやな京都>  記 中尾彰秀      詩人・ピアニスト・ヒーラー

 詩言葉が
 内なる宇宙の葉脈を
 自在に浮き彫りにする
 私はその脈拍に乗り
 ほとんど無意識状態で
 際限なく出てくるのだ
 リズムメロディ旋律が
 普遍性ある宇宙一体波動音楽が

 我々は思い出す
 かつてモーツアルトは
 天降る音楽を作曲演奏していたことを

 2010年12月11日(土)昼前
 使用ピアノ・スタインウエイグランド
 京都は「ブリランセピアノサロン」にて
 イベント名「TAOやな京都」

 ピアノインプロヴィゼイション--------中尾彰秀
 詩朗読-----------船曳秀隆 「水の意識」「鉛筆削りの影」「宇宙の実」
          名古きよえ 「雨のことば」
          田村照視 「ポルトガル旅情」

    じっくりと落ち着いたそれぞれの朗読は、音楽との
   絶妙な共鳴を得て、一つの全く新しい作品となった。
   ことに「宇宙の実」に於ける最後の前衛的爆発は、他
   に類のないものであろうか。
    しかし、一つ残念な事は、前半二作迄はちゃんと録音
   出来たがその後は収録出来ていないのだ。ゴメンね、ゴ
   メンね許してね。原因は電池切れです。うえ~~~ん。
    以後こういうことのないようにいたします。再現はまた
   出来るのでありますが、今度は、もっともっと乗りまくって
   やるぞー!!
     


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2010年12月29日

ヒネた山下清

<ヒネた山下清>  記 中尾彰秀      詩人・ピアニスト・ヒーラー

 山下清だったら
 もっと純粋に
 直接的に平和を訴える
 あんたは
 だいぶヒネてるね

 とある海南のこじんまりしたイベントで
 初対面の方に
 森羅通信セットを渡した
 その第一印象がそれ

 とても光栄なことであるが
 方法論に終始する社会批評が
 存在の奥域におよそ至らず
 提案に止まることは
 当然のことであると
 知ってか知らずか
 それに反して
 あらゆるものを包括し
 奥深き癒しパワーで世界を満たす
 芸術最先端たる当方の貴重な物を受け取った瞬間
 ジンマシンでも出たのか

 純粋とは
 一体どういうことでありましょうね  


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2010年12月26日

マイケルと気踏

<マイケルと気踏>  記 中尾彰秀       詩人・ピアニスト・ヒーラー

 2010年12月24日(金)
 故マイケルジャクソンの「This is it」の
 かなりの部分が
 テレビ中継された

 彼の美しい高音の歌声は
 ポップス・バラードにいかんなく発揮されていた
 独創的なダンスは
 「ムーン・ウオーク」はじめ
 興味そそるものがあった

 あんたの気踏ダンスに似てるで
 とは妻の言葉
 中腰で尻尾の様に両手を後ろにあてるとか
 身体のねじり具合
 およそ動きの機敏さとスタイルは
 比較にならないが

 動きのニュアンスは
 あらゆる動物の魂や存在のオドロオドロを
 浄化しようとする意図
 これは舞踏なのだ

 私の若かりし頃の気踏ダンスは
 知る人ぞ知るが
 その残存は
 今や
 詩集「気踏歌()竹林館 定価2300円 1994年出版)や
 写真集「気踏」シリーズのみとなっている
 ディスコパーティで踊りながら
 円陣を組まれ囲まれ拍手喝さいされたり
 賞を幾つも貰った時代が懐かしい
 そう言えば詩人白石かずこ氏も
 若かりし頃
 フリーダンスの達人だったと聞く

 何れにせよ詩は
 ジャンルを超え
 

 
  


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2010年12月23日

寺沢京子詩集

(寺沢京子詩集)  記 中尾彰秀        詩人・ピアニスト・ヒーラー

 あなたの人生を至福にする百の詩集(89)

 「窓から」  寺沢京子詩集  海風社 2003年出版 1429円+税
                    B6版 28篇 88頁

 窓に、もしも、言葉があるなら
 きっとこんな平和な心

      「ここまで」

<もっと こちらへ おいでよ
 
 手をのばして 引っぱられて

 もっと こちらへおいでよ

 でも だめ ここからは ここまでだよ

 かけもどったら また声がして

 もっと こちらへ おいでよ

 手をのばして 引っぱられて 

 もっと こちらへ おいでよ

 でも>

 日常のミステリアスは
 しかし
 思いやりと存在の奥域に
 充ちている

     「だれ」

<バス停に立っていたら 木の葉の影 足もとでふるえて

 ああ 風 見上げると こきざみにうごく うすみどりの葉
 なんて明るい空

 木の葉 たしかに ある 二本足でたって はりついて ビルの影に
 すっぽり包まれて すいこまれているもの だれ?

 見ているのに 見ているはずなのに どこにも みえない存在

 いったいだれ?

 緑色のバス だんだん 近ずいてくる たしかに近ずいてくる

 たしかに?

 乗るのは どこの だれ?>  


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2010年12月23日

記憶

<記憶>  記 中尾彰秀        詩人・ピアニスト・ヒーラー

 あなたの人生を至福にする百の詩集(88)

 「記憶」  岩井洋詩集 竹林館 2005年 1500円+税
                B6版 144頁 41篇

 生きると言う
 大自然に抱かれた
 哀しくも限りなく透明な心
 一冊の詩集に込められた
 それは切実な願い
 くれぐれも
 一般受けする自意識分析に
 惑わされることなく
 かくなる透明を
 掘り下げてもらいたい
 一冊の詩集は
 生きざまであり作者の
 人生哲学だから

     「滝の風景」

<エレベーターの中で 昏れかかる滝の風景を語りかけると
 君は目をつぶったまま 静かにうなずいていた 

 レストランでは 窓から見える夕焼けは、 次第に闇に変わり
 ライトアップされた滝が見えている 

 昼間に、 間近に見た滝では 水しぶきの中 カモメ達が舞って
 いて 二つの国の間を わけなく飛び交っていた 

 私たちも レインボウブリッジを渡って 二つの国を行き来したけ
 れど 面倒な手続きと いくつかの質問が待っていた

 そして今 ここから見える風景は それらを丸ごと見ることが出来る
 滝は 自らの身を刻みながら 轟轟と流れ落ち 途切れない時間を
 刻んでいる>  


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2010年12月21日

憧憬

<憧憬>  記 中尾彰秀        詩人・ピアニスト・ヒーラー

 あなたの人生を至福にする百の詩集(87)

 「憧憬」 三浦千賀子詩集  私家版 非売品 10篇 B5版 17頁
                   出版2011年

           「生きるということは」

   <生きるということは できないことを諦めるということ 
    自転車乗りも 三角座りも

    生きるということは 無くしたものを追わないということ
    母の愛も 右足の自由も

    生きるということは 分不相応でも ぶつかるということ
    恋にも 仕事にも

    生きるということは 相手の懐に飛び込むということ
    荒れる中学生にも 障害を持つ子らにも

    生きるということは 弱い者の立場に立つということ
    理不尽には 声を上げるということ

    生きると言うことは 老い先を考えず 今を生きるということ
    わたしのカレンダーには予定がいっぱい

    生きるということは 閉ざされた時代の闇に立ち向かうということ>

         *元教師 現相談員の小詩集

        生命は
        他と比較出来るほど
        安物ではない
        比較分析を得意とする
        人間の理知・実存に
        過去はあっても
        今も未来も真実もない
        
        あまねく人々を
        元気付ける詩は
        優しくも深い。
        教訓めいた言説などではなく
        自らの生き方で
        指し示している。
        なお、今を
        満足して生きるとは
        最高の幸せである。  


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2010年12月21日

夏のひかり

<夏のひかり>  記 中尾彰秀        詩人・ピアニスト・ヒーラー

 あなたの人生を至福にする百の詩集(86)

 「夏のひかり」  関中子詩集  思潮社 2009年出版 A5版 79頁
                          定価2000円+税

        
         「木のベンチ」

<かなり遠い話だ わたしがこの木のベンチに寝る前の 夕暮れの話か 朝か
 違う 真昼間の話だ

 わたしはひかりを追って町に出た 暗黒に姿を変えた人々が群れる町の束縛の
 すべてをわたしの意志で 断ち切り みなぎる感動でシャツのボタンがはじけそう
 だった 

 あの人はわたしの前をわたしの胸に触れるくらい間近かをゆっくり 外へ出た 足
 音は爪をしまった猫のように静かだった あの人の産毛の優しさだけを集めたよう
 に柔らかい響きだった わたしの上着の裾がひっかかり棚の水色の花瓶が転がり
 水が流れ 昨日までは愛され 良く手入れされた 季節を告げようと咲き誇った花
 が飛び散ったのもかまわずわたしは あのひとを追った わたしの足は麦秋を駆け
 る天馬のように空と大地の境もいとわず前に進んだ それなのにあれいらい わた
 しはあの人に合わない ずっと捜しているのに・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 ちらと見える わたしの姿 わたしの心 わたしの鍵 わたしをわたしへと導く>

       内なるもやもやの中で
       何を探し求めているのか
       自らの源
       それを明確にするための
       心の旅
       想念の旅
       途上重力を失くしたまま
       認識によって無くすのではなく
       浮遊
       光り輝くその道筋を
       大切に抱いて
       花ひらく美しき抒情

       自意識の泥沼に
       ハマることなく
       存在の源へ
       果たして
       行き着くだろうか
       泥沼が詩ではない
       その認識は何処へ
         


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2010年12月20日

救急車と霊柩車

<救急車と霊柩車> 詩 中尾彰秀      詩人・ピアニスト・ヒーラー

  ほんの一息の間
  救急車と霊柩車に
  擦れ違った

  救急車は単独で
  急いでいた
  霊柩車は金魚のあれみたいなもの
  五六台くっつけ
  ゆっくり走っていた

  前者の無事回復を祈り
  後者のご冥福を祈る

  それにしても
  今日は誰しもが高まる日なのか
  急ぎもゆっくりも
  排気ガスは青くうねり
  上昇している

  昨今健全に生きていても
  救急車より速く走ったり
  霊柩車より派手な暮らしをする御人が多い
  中取って適当車とばかりに
  カブを走らせる

       初出 「詩を朗読する詩人の会”風”」
           2010年12月19日  


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2010年12月18日

かき色の柿

(かき色の柿)  詩 中尾彰秀         詩人・ピアニスト・ヒーラー

 真夏の光をさも上手く遮って
 一瞬こちらに疾走する塊
 温涼しい今日の斜風の腰見事にかすめ
 めくばせする笑みよ
 少し眠たい昼食後の
 私のニンニク臭い吐息に
 辟易とするでなく

 一瞬こちらに塊疾走し
 宇宙ののヒモ解くがごとく
 私を見つめる私は
 私と共に身じろぎせず

 あなたの握りこぶしと
 同じくらいですね
 人間の強欲の政治は
 とくと私の一族---柿---を観れば
 きっと改善される
 カーキ カーキ カキ カキ カキ
 我々柿は柿であることを
 誇り高くずうっと百年千年と
 守っています
 これから私自身は
 鳥よりも先に
 人間に食べられるでしょうが
 私の堅い芯には
 あなたをも含めた
 宇宙のエキスが
 残酷な程優雅に
 詰まっています

 私が何者かに食べられることは
 私が解放されること
 私を食することは
 自らを食べること
 そしてその美味は
 誰しも体験したことがありません

 四角ばった
 少しいびつの
 かき色の柿
   


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2010年12月17日

手妻

<手妻>  記 中尾彰秀         詩人・ピアニスト・ヒーラー

 あなたの人生を至福にする百の詩集(84)

 「手妻」 下村和子詩集 コールサック社 2009年第2版 
                125頁 A5版 25篇 定価2100円

 藍、藍染めに魅せられ
 そこに人生の様々を感得する
 藍なる自然の色は
 究極、神の色
 
 ならば
 他の色は?
 どんな色であろうとも
 自然の色は
 神の色
 色は波動だから
 色そのものにエネルギーがある
 色があると言う
 不可思議
 特定の物へのこだわり
 音楽や詩へのこだわり
 普遍的神的エネルギーに
 導かれ

 藍の色を出す
 苦労と工夫は
 例えようもなく美しい
 そして、なぜこだわるのか
 謎解きのごとき
 一詩

     「私の色」

<水は 今も 私を 心のふるさとに導く 海の青は 私の色だ

 香炉園浜の水辺に 今はない 広い芝生にかこまれた クラブハウスがあった
 幼かった私の楽しみは 冷たくて甘いジュース 親子四人の明るい日曜日だった
 一人乗りのスカールを漕ぐ 若い父は格好よかった 瑠璃色の沖を 母と私達は
 眺めていた 

 一瞬襲った予感  (消えるかもしれない 幸せの形) 貝殻を拾っている時だった
 今も鮮明に記憶している

 光と影はいつも隣接している 芝生の続きには 古い大きな西洋館があった やが
 てその一室に 母は連れ去られていった あの窓から 母は 青の中の白い一点を
 探していたのだろうか 私が一年生の秋 母は息を引きとった

 深夜の廊下を 父に手をひかれて歩いていった 部屋は暗く一室にはカーテンが
 引かれていた おそろしかった ただ震えていた あそこじゃない 父も母も 青の
 中に居る 私は そう思い込むようになった

 近江の人は 琵琶湖を うみ と呼ぶ 葦が伸びた水郷を 小舟に乗って ゆっくり
 ゆっくり進むと 手漕ぎの舟は 人間サイズの涼風を迎えて 夏も心地よい 葦の
 影は 時の移り毎に 青の色が変わり 魚たちが小さく跳ねる

 銀色に光る うみに出る 舟の動きを止めて お昼のお弁当をいただく
 重ねのお重の中に ぎっしり詰まった 色とりどりの 数を取り合わせた お菜 人も
 葦も 空も魚も 微笑している

 海も うみも青 変りながら 変らない 母の寿命の二倍 生きている私は 舟の揺れ
 に全身を任せて 青に入る 大きなものに抱かれている ある日の午後>
  


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2010年12月17日

知らぬが仏

<知らぬが仏> 記 中尾彰秀       詩人・ピアニスト・ヒーラー

 知らぬが仏
 名言がある
 ヤバいことを何も知らなかったら幸せ
 と言う意味であろうか
 大賛成である

 しかし
 知らぬが故
 不幸や不治の病となるのであれば
 大変な事である

 文化芸術特に詩と音楽において
 知らぬが仏となっていただかない為
 そして
 本当の魂の平和を得ていただく為
 当ブログは世界に発信している。
 http://earthpoemproject.ikora.tv/
 
 なお、電磁波やリニアや低周波騒音他
 社会的な問題で
 知らぬが仏となっていただかない為に
 「ガウス通信」がある。
 http://www.gsn.jp/  


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2010年12月16日

夕陽の光芒

<夕陽の光芒>  記 中尾彰秀        詩人・ピアニスト・ヒーラー

 あなたの人生を至福にする百の詩集(83)

 「夕日の光芒」 佐藤勝太詩集 竹林館 定価2000円+税
                     2008年出版 A5版 175頁 49篇

 生きると言う当たり前には
 一体何がある
 当たり前の前に
 神々しく立ちはだかる大自然
 地球と言う大自然

 忘れてはならない
 生きると言う当たり前の
 実は奇跡の
 そのど真ん中で
 人間は戦争を起こし
 殺し合いをし
 原爆を落とし落された
 未来永劫残る事実に
 決して目をそらすことなく
 真摯に晩年を生きる詩人の
 魂は優しくも熱い

        「1945年8月6日の朝」

<通学路の頭上から 紙屑の灰が降ってきた 薄曇りの西の空から
 黒あげはの羽ばたきのように 少年たちの肩に止まった 

 きのうもまた どこかの都市が空爆されたか いまさら驚くこともない
 戦況だった 爆音も悲鳴も聞こえないが 国土の焼野原は広がって
 いた 

 教室の窓辺に凭れて 誰かが ひろしまに新型爆弾が投下され 強力
 な光線が 人も街も一閃で焼きつくしたと ひそひそ語り合っていた
 それまで無邪気に戯れていた 生徒の動きがいっせいに停まった

 玉砕や特攻 艦隊の全滅 東京 大阪などの焼土は 聞いてはいたが
 一発の爆弾で隣のひろしまが灰塵とは 生徒たちの思考が苧立した
 本土決戦に備えた中学生の眼差しが 閉じられて教室の隅に立てかけた
 手作りの竹槍から目をそらして 机に伏せて始業を待った>

  


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2010年12月15日

ミツバチの羽音と地球の回転

<ミツバチの羽音と地球の回転> 記 中尾彰秀  詩人・ピアニスト・ヒーラー

  スナメリ-----------体長二メートル強の小型のクジラ。長島周辺は国内最大級の
            繁殖地と専門家に指摘されている。波間から背中が見える。
  カンムリウミスズメ-------------国天然記念物・絶滅危惧二類の海鳥。田の浦は
                   数少ない繁殖地の可能性があると言われている。
  ナメクジウオ----------絶滅が危惧される生物で、脊椎動物への進化のカギを握り
              「人類の祖先」とも言われている。
  ヤシマイシン近似種----------田の浦で発見された新種の巻貝。ヤシマイシンは貝
                  類の「始祖鳥」とも言われ、田の浦は世界的にも数少
                  ない生息地である。
  ハヤブサ---------絶滅危惧二種のワシタカ類。田の浦の目の前の鼻繰島で繁殖が
           確認され、2008年にも3羽の雛が巣立っている。
  スギモク-----------杉の葉に似た海草、田の浦は瀬戸内海でも数少ない生息地で、
            その群落は西日本最大級。
  ビャクシン----------海岸の岩場に生息する針葉樹。原発敷地予定地内にある小島
            に群生し、この小島は埋め立てないことになっている。

  山口県南東に位置する瀬戸内海の西側。上関町は長島(祝島の前3.5km)に原
  発が建設されようとしている。上記はその田の浦にいるとされる希少生物。いざ建
  設され稼働されると、果たしてどんな影響が出るだろう。希少生物たちのみならず
  多くの生物及び人間に。
  建設の賛成反対以前に、この社会に後後残せる自然エネルギーをもっともっと利用
  する事こそ重要なのではないだろうか。後後残せるとは、放射性物質が後後残る事
  ではない。平和に安全に暮らせる社会を意味する。
  見直しは、まだ間に合う。原発は本当に必要なのか。

  鎌仲ひとみ監督の映画「ミツバチの羽音と地球の回転」を、つい先日観た。現代文明
  はいとも簡単に、自然を破壊して便利さを作り出すが、果たしてそれは、とてもとても
  大切な自然を生かし生かされる暮らしを破壊するだけでなく、決して安全でないものを
  蓄積していくことになるのではないだろうか。映画における音楽----Shing02------による
  民族音楽演奏が、人々よ目覚めよとばかりに魂を揺さぶる。

        <参考ホームページ> http://888earth.net/
  


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2010年12月14日

光る点

<光る点>  記 中尾彰秀        詩人・ピアニスト・ヒーラー

 点は天
 四つの、、、、占えば
 あらゆることの可能性降ってくる
 
 その点
 あの点
 この点
 てんてんがくがく
 どこかの国の
 美味しい料理
 点心

 一点にエネルギー集中し
 一即多多即一
 梵我一如
 理知と実存超えた
 魂の愛の答えここにあり

         「点」
<ゴキブリがやって来た点
 蟻がやって来た点
 戦車が通過し草木折り踏みしだいた点
 キリンが優雅に通った点
 あのかわいい少女が右手に花束持って通った点
 風が吹くたびに一息置いてとぐろを巻く点
 満月が昇る度に必ず挨拶する野原の隅の点
 夏の太陽がいかに大地を熱しようとも爽やかな点
 泣きたくとも触れるだけで微笑する点
 いかなる病も瞬時癒しいつ死すとも満たしてくれる点
 
 私は百万個の点を持つ
 誰しもが
 そして>

     中尾彰秀第12詩集「呼吸のソムリエ」より
       竹林館 定価3000円+税 A5版 107頁 
             30篇 平成12(2000)年出版
             日の出の美しくも光り輝く絵の表紙
             あなどるなかれ現代詩
             10年前に既にあった
             癒しエネルギー溢れ溢れる詩集

(購入法) 郵便振替 森羅通信の会 00940-4-29604
               定価3000円+送料200円  


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2010年12月14日

リニア

<リニア>  記 中尾彰秀         詩人・ピアニスト・ヒーラー

  リニアって
  未来的
  スマート
  すこぶる速い
  レールの上に浮いて
  滑る滑る滑る
  夢のように

  数年前
  ホロヴィッツ氏のスタインウエイピアノ弾きに
  神戸へ行った時
  約五分だけ
  行きしなに乗った
  低速のリニアだが
  強烈な電磁波と電磁場に
  耐えきれず
  帰りは歩いた

  夢ならば
  発生しません
  電磁波
  これが超高速なら
  果たして一体
  どうなるでありましょう

  日本アルプスに
  トンネル掘って
  超高速のリニアが
  計画されている
  安全なのであろうか
  市民の声をここで
  見る事が出来る。
  http://www.gsn.jp/linear/
  
    


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2010年12月13日

水野ひかる詩集

<水野ひかる詩集>  記 中尾彰秀      詩人・ピアニスト・ヒーラー

あなたの人生を至福にする百の詩集(82>)

水野ひかる詩集 土曜美術社 続現代詩文庫(59)1470円 2009年

 静けさと一体たる
 魂の奥深き自由へと
 解放されていない心は
 トンネルを一方通行しているから
 人間の理知と実存
 「我意識するが故あり」
 のトンネルに止まる。
 救いの答えは
 一方通行標識取っ払い
 内なる森羅万象の魂を通過して
 自ら立つここへ
 還ること。

 ならば、海あり、宇宙あり、自由あり、
 無限の静けさあり。
 生きたまま。

 トンネルをあくまで
 意識の側から
 見事に描いた詩。

       「トンネルをぬけると」

<トンネルをぬけると海がみえてくる という風景が好きだ ところが現実は
 トンネルをぬけると山の中ということもある ゆきどまりの 袋小路のような
 ところに追いこまれることだってある ひらかれる風景もあれば とざされる
 風景もあるが とにかくトンネルの中よりはましだろう トンネルのなかにい
 ると不安がつのる いつかは抜け出すにきまっているのだが 永遠にぬけ
 られないような観念にとらわれて 自縛される精神 長いトンネルも 短い
 トンネルも トンネルはいつがきても好きになれないが ぬけたときの ぱあ
 っとひろがる海がみえてくる醍醐味は またとない機会で 抑圧されていた
 ものが木端微塵にとびちっていく ひかりのあふれた明るさ 果てのない空
 間のひろがり トンネルをぬけ海がみえてくると 精神がきらきら輝きながら
 解放される ひとが誕生するとき 眩いトンネルをくぐってひかりのなかにお
 ちるように ひとが死ぬときも また 精神は肉体のトンネルを苦しみながら
 くぐりぬけ 自由な旅にでる>

   


Posted by nakao at 18:22Comments(0)芸術

2010年12月13日

松尾泰伸ヒーリングピアノコンサート

<松尾泰伸ヒーリングピアノコンサート> 記 中尾彰秀  詩人・ピア二スト・ヒーラー

 2010年12月12日(日)
 「バーフォード」と言う和歌山市の喫茶店で
 松尾泰伸ピアノライブが実施された。

 「ヒーリングピアノ」と称するだけあって
 当日奏じられた11曲は
 何れもオリジナルであり
 美しくも癒し波動エネルギーに
 満ちていた。
 「FUJⅠ」なる曲では
 私も含め数人が涙した。

 ちなみに、2009年6月
 当ブログの立ち上がりは
 松尾氏をゲストに招く
 当方「EARTHPOEMPROJECT」
 (代表・中尾彰秀)主催の
 「和歌山詩まつり」であった。
 イン和歌浦「アートキューブ」

 何れにせよ
 世の音楽に関する認識は
 改める必要がある。
 モーツアルトやショパンやベートーベンを
 完璧に奏じるより
 自らに天降る音楽を奏じ
 オリジナルであること。
 めしを食えなくとも
 詩人は自らの詩を
 書いているではないか。
 これは詩人・ピアニストたる私の
 当初よりの理念である。
 なお、波動音楽が
 今後ますます重要視されるであろう。
 
 松尾氏への連絡詳細は
  http://02ma.com/
 
 
  


Posted by nakao at 17:27Comments(0)piano

2010年12月12日

眺める

(眺める)  詩 中尾彰秀       詩人・ピアニスト・ヒーラー

  かつての青年は
  おじさんになり
  かつてのおじさんは
  老人になった

  ディズニーのファンタジーではないが
  あなたは知っているに違いない
  心掛け一つで
  年とればとる程
  若返る魂のあることを
  肉体は衰えるにせよ

  それを自らに当て嵌めるべく

  重力ものともせぬ
  飛鳥の軽み懐へ

  人生怖いもの知らず
  ショ―パンの闊歩
  魂の隣へ

  千の言葉光と化す
  ピアノインプロヴィゼイション
  内臓の底へ

  過去現在未来自由自在
  風の足裏
  背に移植する

  魂の出自にすら
  至る
  自分を眺める自分と
  共に
  

  
    


Posted by nakao at 18:22Comments(0)芸術