2011年04月30日
伴奏とセッション
<伴奏とセッション> 記 中尾彰秀 詩人・ピアニスト・ヒーラー
伴奏--------伴って一緒に奏じること。あくまで主があり、従である伴奏。
セッション--------両者一体となり新たな創造を成すこと。主従なし。
かつて、40年ほど前だろうか。「死刑台のエレベーター」という映画。
主題歌をマイルスデイビスがトランペットを吹いたが、余りにも良かったので、
映画を食ってしまった。むしろこれは、セッションの正直な醍醐味。
私など、伴奏と遠慮がちに言って置き、実はセッションをする。
慣れていない方には、そのほうが安心するらしい。
ベテランの方なら、よっしゃいくでのひとこと。
詩朗読とのセッションの場合、どんな詩か、その時はじめて知る場合が多い。
しかし所詮、知識や頭で即興ピアノを奏じてなどいないから、詩に触れる瞬間
よりも早く、旋律が天降る。
そもそも、詩も音楽もその人の生涯のものとして、既に宇宙にあるのだ。
それが波動である。かくなる、世界唯一であること。世界に一つの花。
伴奏--------伴って一緒に奏じること。あくまで主があり、従である伴奏。
セッション--------両者一体となり新たな創造を成すこと。主従なし。
かつて、40年ほど前だろうか。「死刑台のエレベーター」という映画。
主題歌をマイルスデイビスがトランペットを吹いたが、余りにも良かったので、
映画を食ってしまった。むしろこれは、セッションの正直な醍醐味。
私など、伴奏と遠慮がちに言って置き、実はセッションをする。
慣れていない方には、そのほうが安心するらしい。
ベテランの方なら、よっしゃいくでのひとこと。
詩朗読とのセッションの場合、どんな詩か、その時はじめて知る場合が多い。
しかし所詮、知識や頭で即興ピアノを奏じてなどいないから、詩に触れる瞬間
よりも早く、旋律が天降る。
そもそも、詩も音楽もその人の生涯のものとして、既に宇宙にあるのだ。
それが波動である。かくなる、世界唯一であること。世界に一つの花。