2009年11月09日

きのくに詩話会(3)

<<< きのくに詩話会(3) >>> 詩評 中尾彰秀

 ところで、なぜ、人間に詩は必要なのか。
 その答えとして、自ら詩を書き、詩言葉を音楽に転換し
 波動ピアノ奏している。

    心と魂の具体化
    そこに宇宙一体、
    愛と平和のエネルギーが、充満する。
    いつの時代に置いても、行為が答えである。

 そして、その一つとして、「きのくに詩話会(3)」で、扱ったのが
 北原千代詩集 「スピリトゥス」 土曜美術社 定価2000円+税

         「ひらかなの町」

<足早なのにどこかとろりんと 空気のあまいおんなやおとこがいて よりみちが
すきな小学生と ぼうしがにあう少年と なぎさの遊歩道を手をつないであるく
おとしよりカップルがいて 葦笛をじょうずにふくおじさんがいて 犬に散歩させても
らってるおじょうさんがいて まんなかに みずうみといういれものがあって けわし
さも いとしさも ゆきも あめも おひさまも さけびも うおのなきがらも はなびらも
ふかいところにためている    この町にかえるとふっときずく おはようも さよなら
も ひらかなだったこと みずうみにしずむものからたくされた ひらかなのこころ
どれだけのじかん旅をしてきたか あなたとなぎさをあるく 水鳥が水にあそぶ>

        哀しみを帯びて在る、日々のもの。どれひとつとして
       単独であるものはない。どれもこれも深い処で結びつ
       いている。森羅万象と共にゆらいでいる。ひらがな言葉
       は、等しくゆらいでいる。インドでは、コンニチハもさよな
       もナマステ。やさしい音楽である、ひらがな。生死のかけ
       橋なのであろうか。
        世界のスピリチュアルを浮き立させる詩、25篇。


    



Posted by nakao at 16:49│Comments(0)芸術
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