2011年04月13日
中尾彰秀短歌
<中尾彰秀短歌> 記 中尾彰秀 詩人・ピアニスト・ヒーラー
短歌も詩に含まれる。
短歌や俳句を詩から切り離すのは、
単に別の派閥作りたい症候群である。
大人げないのではない。
大人こそが別の目的のために、真実を
歪める歴史を持つのだ。
原発を推進して来たのは、
立派な大人である。
中尾彰秀第12詩集「呼吸のソムリエ」(竹林館 定価3000円+税)
においては29歌をひとまとめに「地球釣る」として載せている。3例。
癒しとは千年の楠まるごとに持ちておりつつ秋深き風
偉大なる傾斜喜ぶものどもよ夏満ち垂れる数億の穂穂穂
潮騒を千年聴きて秋の岩勇気ふるいてしばし座すなり
言葉と言うものならぬものは、短いほど奥深く難しく楽しいのである。
詩においては、最近やたら長い小説まがいの雑文詩の様なのがもて
はやされるが、他ならぬそれは、詩の理解者が少ないと言うことか。
と言うのは、私のほとんど冗談のけん制だ。内なる神秘(宇宙)の無さ
を長文は誤魔化せるだけのこと。
中尾彰秀詩集「呼吸のソムリエ」 2001年 A5版 30篇108頁
(購入法) 森羅通信の会 郵便振替 00940-4-29604 定価三千円+送料二百円
短歌も詩に含まれる。
短歌や俳句を詩から切り離すのは、
単に別の派閥作りたい症候群である。
大人げないのではない。
大人こそが別の目的のために、真実を
歪める歴史を持つのだ。
原発を推進して来たのは、
立派な大人である。
中尾彰秀第12詩集「呼吸のソムリエ」(竹林館 定価3000円+税)
においては29歌をひとまとめに「地球釣る」として載せている。3例。
癒しとは千年の楠まるごとに持ちておりつつ秋深き風
偉大なる傾斜喜ぶものどもよ夏満ち垂れる数億の穂穂穂
潮騒を千年聴きて秋の岩勇気ふるいてしばし座すなり
言葉と言うものならぬものは、短いほど奥深く難しく楽しいのである。
詩においては、最近やたら長い小説まがいの雑文詩の様なのがもて
はやされるが、他ならぬそれは、詩の理解者が少ないと言うことか。
と言うのは、私のほとんど冗談のけん制だ。内なる神秘(宇宙)の無さ
を長文は誤魔化せるだけのこと。
中尾彰秀詩集「呼吸のソムリエ」 2001年 A5版 30篇108頁
(購入法) 森羅通信の会 郵便振替 00940-4-29604 定価三千円+送料二百円
Posted by nakao at 18:33│Comments(0)
│芸術