2011年10月07日
石を吐く犬
<石を吐く犬> 記 中尾彰秀 詩人・ピアニスト・ヒーラー
「野の花」 第12号 文芸サークル 年金者組合 堺南支部
編集責任者 三浦千賀子
「石を吐く犬」
<仮設住宅の一軒を訪問した時 戸口の前に 黒い犬が繋がれていた
訪問者を警戒する様子もなく 盛んに尻尾を振っている 同行の男性が近ずくと
口からポロッと 石を吐いた
仮設住宅の敷地の端に 敷き詰められている 黒い石だった
家人が言う -----人が来るたびに 石を吐くのです
犬にもストレスがあるのだろうか 飼い主の家が流され その変化を犬も感じてい
るのか 家の中で飼われていたのかもしれない
まるで人が来るのを待っているように そうでない時は 石を噛みしめて さみしさを
紛らせているのか
石を吐いた犬は 白い腹を上に向けて 男性に愛想を振りまいている>
(作 三浦千賀子)
30数年前、ヒマラヤ山脈差し向かい、ポカラ(ネパールの高地)
の山の頂では石を積んでいた。感謝と祈りを込めて、積む石。
ずっと昔からの習慣に止まらぬ民族の思想・哲学。
環境のあまりもの破壊を目の当たりにして犬は言葉を、いや、
一般的な習慣を失い、自らの生態的・本能的・動物的行為(
原態)に戻り、古の人間と同じ様に祈りと感謝を表現している
のだろう。
詩は言葉を使う故、詩人は言葉の限界を常に背負っている。
その限界を突破するのは、岡本太郎のごとき原始的エネルギ
-あるいは、欧米的知力を超えた波動曼荼羅エネルギー、
あるいは、お経などは詩であり音楽でありもちろん祈りである。
以前、岡本清周氏主催の詩朗読と音楽のイベントで、満月に
向かって犬の遠吠えをした御人がいたが、これもそれに匹敵す
るスペシャル芸。肘も拳も使う私のピアノインプロヴィゼイション
ももちのロン。
何れにせよ、石を吐く犬は、知力や根性やガンバリや復興や、
そこいらの次元では到底解決出来ぬ、我々日本人の本当の
故郷、遥かなるチベットに瞬間移動して答えとしての原態を示
してくれている。
「野の花」 第12号 文芸サークル 年金者組合 堺南支部
編集責任者 三浦千賀子
「石を吐く犬」
<仮設住宅の一軒を訪問した時 戸口の前に 黒い犬が繋がれていた
訪問者を警戒する様子もなく 盛んに尻尾を振っている 同行の男性が近ずくと
口からポロッと 石を吐いた
仮設住宅の敷地の端に 敷き詰められている 黒い石だった
家人が言う -----人が来るたびに 石を吐くのです
犬にもストレスがあるのだろうか 飼い主の家が流され その変化を犬も感じてい
るのか 家の中で飼われていたのかもしれない
まるで人が来るのを待っているように そうでない時は 石を噛みしめて さみしさを
紛らせているのか
石を吐いた犬は 白い腹を上に向けて 男性に愛想を振りまいている>
(作 三浦千賀子)
30数年前、ヒマラヤ山脈差し向かい、ポカラ(ネパールの高地)
の山の頂では石を積んでいた。感謝と祈りを込めて、積む石。
ずっと昔からの習慣に止まらぬ民族の思想・哲学。
環境のあまりもの破壊を目の当たりにして犬は言葉を、いや、
一般的な習慣を失い、自らの生態的・本能的・動物的行為(
原態)に戻り、古の人間と同じ様に祈りと感謝を表現している
のだろう。
詩は言葉を使う故、詩人は言葉の限界を常に背負っている。
その限界を突破するのは、岡本太郎のごとき原始的エネルギ
-あるいは、欧米的知力を超えた波動曼荼羅エネルギー、
あるいは、お経などは詩であり音楽でありもちろん祈りである。
以前、岡本清周氏主催の詩朗読と音楽のイベントで、満月に
向かって犬の遠吠えをした御人がいたが、これもそれに匹敵す
るスペシャル芸。肘も拳も使う私のピアノインプロヴィゼイション
ももちのロン。
何れにせよ、石を吐く犬は、知力や根性やガンバリや復興や、
そこいらの次元では到底解決出来ぬ、我々日本人の本当の
故郷、遥かなるチベットに瞬間移動して答えとしての原態を示
してくれている。
Posted by nakao at 18:19│Comments(0)
│芸術