2011年12月14日
大場百合子詩集
<大場百合子詩集> 記 中尾彰秀 詩人・ピアニスト・ヒーラー
全国の図書館や公共の文化会館に設置されていると聞く。
「りいぶるBook~これ。読んだ?~」 VOI.11 2011年12月
和歌山県男女共同参画センター”りいぶる”の
書評ボランティアをしているので
今回は、和歌山詩人会議の詩人 大場百合子氏の詩集
「ゆりこゆりこと呼ぶのよね」を取り上げた。
いろんな機会に、私は言っているが
世の詩評はおかしい。
言葉分析や意味解釈に止まっている。
詩評はあくまで、人間の生き方を語り
いかなる詩であろうとも詩にベンチャラすることなく
真実を明示せねばならない。
「ゆりこゆりこと呼ぶのよね」 詩人会議出版 2010年
<可愛いオカッパ頭の少女の表紙絵は、著者の母がわが子を描いたもの。著者の
現在を私は知っているが、今と余り変わらない。絵の普遍性を確信するに足るもの
だ。
誰しもが持っている子ども時代は、物事をまだ理知で分析し切り刻まぬところの素
朴でリアルな世界が柔らかく拡がっている。世界は唯物論で片付けられないし、決
して月日の経過がそうさせているのではない。お受験に染まらぬ、競争や排他主義
を知らぬ宝の時代を、小学校の同窓会で、私はひしと思いだす。幼き頃の思い出は
立派な心のふるさとなのだ。一生涯子どもの心を持つことと、天使であったことを忘れ
ぬことは、ヒーリング界のみならず人間の一生のテーマである。
昨今、計らずも大災害に見舞われたりすると、大変な事態に陥るが、日々、生きること
のありがたさを改めて気付かせる詩集である。
「虞美人草の花が咲いたよ
風にゆられて花びらおちた
ただそれだけ
月見草の花が咲いたよ
夕暮の風に吹かれて花ひらく
ただそれだけ
ただそれだけのことに
涙があふれそうになったよ
生きるという
ただそれだけのことに」
(「一瞬の間に」)>
全国の図書館や公共の文化会館に設置されていると聞く。
「りいぶるBook~これ。読んだ?~」 VOI.11 2011年12月
和歌山県男女共同参画センター”りいぶる”の
書評ボランティアをしているので
今回は、和歌山詩人会議の詩人 大場百合子氏の詩集
「ゆりこゆりこと呼ぶのよね」を取り上げた。
いろんな機会に、私は言っているが
世の詩評はおかしい。
言葉分析や意味解釈に止まっている。
詩評はあくまで、人間の生き方を語り
いかなる詩であろうとも詩にベンチャラすることなく
真実を明示せねばならない。
「ゆりこゆりこと呼ぶのよね」 詩人会議出版 2010年
<可愛いオカッパ頭の少女の表紙絵は、著者の母がわが子を描いたもの。著者の
現在を私は知っているが、今と余り変わらない。絵の普遍性を確信するに足るもの
だ。
誰しもが持っている子ども時代は、物事をまだ理知で分析し切り刻まぬところの素
朴でリアルな世界が柔らかく拡がっている。世界は唯物論で片付けられないし、決
して月日の経過がそうさせているのではない。お受験に染まらぬ、競争や排他主義
を知らぬ宝の時代を、小学校の同窓会で、私はひしと思いだす。幼き頃の思い出は
立派な心のふるさとなのだ。一生涯子どもの心を持つことと、天使であったことを忘れ
ぬことは、ヒーリング界のみならず人間の一生のテーマである。
昨今、計らずも大災害に見舞われたりすると、大変な事態に陥るが、日々、生きること
のありがたさを改めて気付かせる詩集である。
「虞美人草の花が咲いたよ
風にゆられて花びらおちた
ただそれだけ
月見草の花が咲いたよ
夕暮の風に吹かれて花ひらく
ただそれだけ
ただそれだけのことに
涙があふれそうになったよ
生きるという
ただそれだけのことに」
(「一瞬の間に」)>
Posted by nakao at 18:11│Comments(0)
│芸術