2012年07月13日
答以前の提案
<答以前の提案> 記 中尾彰秀 詩人・ピアニスト・ヒーラー
誤解は理解の前段階
と言ったのは
かの松岡正剛氏だが
相も変わらず
答以前の提案が多い
別に悪いというわけではない
ただし
提案者には
悪い癖がある
とうの先に奥深い真実の答えを
出されていると
気に入らぬらしく
格好付けて
その答えを否定するのだ
かつて私自身そうだったのだが
神秘を内に見出せぬ実存主義者は
内なる神秘を持ち生きる人間を
否定する
誤解は理解の前段階
と言ったのは
かの松岡正剛氏だが
相も変わらず
答以前の提案が多い
別に悪いというわけではない
ただし
提案者には
悪い癖がある
とうの先に奥深い真実の答えを
出されていると
気に入らぬらしく
格好付けて
その答えを否定するのだ
かつて私自身そうだったのだが
神秘を内に見出せぬ実存主義者は
内なる神秘を持ち生きる人間を
否定する
2012年07月13日
縄文
<縄文> 記 中尾彰秀 詩人・ピアニスト・ヒーラー
みんなの人生を至福にする百の詩集(62)
「縄文」 奥坂まや句集 ふらんす堂 2005年 定価2600円
ひまわりの遠心力のなかに居り
極月や滝壺を出ぬ葉一枚
何も無き机のうへの秋のこゑ
秋晴れといふまっすぐな言葉かな
きりぎりす机の下の空気かな
説明を良しとする詩が、余りにも多過ぎる。
詩は本来俳句と同様にいらぬ説明はいらないのだが
説明臭い作ばかりが注目されると
いつの間にか説明詩が中心になってしまった。
たまにかような引き締まる句を読むと
心も魂もすっきりするのである。
みんなの人生を至福にする百の詩集(62)
「縄文」 奥坂まや句集 ふらんす堂 2005年 定価2600円
ひまわりの遠心力のなかに居り
極月や滝壺を出ぬ葉一枚
何も無き机のうへの秋のこゑ
秋晴れといふまっすぐな言葉かな
きりぎりす机の下の空気かな
説明を良しとする詩が、余りにも多過ぎる。
詩は本来俳句と同様にいらぬ説明はいらないのだが
説明臭い作ばかりが注目されると
いつの間にか説明詩が中心になってしまった。
たまにかような引き締まる句を読むと
心も魂もすっきりするのである。