2015年01月19日
小川聖子詩集
<小川聖子詩集> 記 中尾彰秀 詩人・ピアニスト・ヒーラー
地球を至福にする百の詩集(22)
「過ぎ去った谷」 小川聖子詩集 待望社 2008年 定価なし A5版 112頁 30篇
「序」
<黒いフェルト暦に並ぶ
三十一の月影は
決して動くことなく
たえず動いている
月は記憶を失ってはいない
記憶は消えてはたち現れる>
この詩集の全てはここに
大自然のエネルギーは
常にあり
人間の歴史を超え
存在する
理知に支配された人間は
単に記憶として
残すが
記憶の中にも
大自然エネルギーはあり
そもそも詩の意味は
生死を超えた言葉イコール
寺・テラ 地球である
「十三夜の逆襲」
<月は空に昇るのが当然だと思い込んでいた
ある時は丸みを帯び ある時は鎌形で
月が満ち欠けして何がかなし と訝しみ
月愛でる歌詠みを陳腐な連中だと決めてかかった
ラフォルグが月を溺愛し 朔太郎が月に吠えようが
サンポリスト達の常套手段にも心ひかれなかった
・・・・・・
真夜中の一時 近眼老眼いり混じった瞳に映った月は
大きな光輪に囲まれ 青白い気体があふれてて・・・・
いにしえの時をはるか頭上に直感したその瞬間こそ
惑乱の不意打ち・・・
束の間の生を暗闇から虚空へやがて
放り上げられ それから
宇宙の塵になるのなんのとジタバタしても
月はただ公平にめぐりめぐるのだ>
インテリほど理知の誇りがあるので、上っ面の頭を取って
内なる光の感得には至らない。しかし、詩人においても
ゲーリーシュナイダーやまどみちおや中尾彰秀のごとく
内なる宇宙一体に至ったやからがいる。理知を身に付けて
しまった現代人は、やはり、瞑想・気功・レイキ・禅などを
やってど頭を取りましょう!!中尾彰秀に至っては、その上に
ピアノインプロヴィゼイションの世界的達人になって、本物の
ヒーリング音楽とのたまっている。ジャジャン。
地球を至福にする百の詩集(22)
「過ぎ去った谷」 小川聖子詩集 待望社 2008年 定価なし A5版 112頁 30篇
「序」
<黒いフェルト暦に並ぶ
三十一の月影は
決して動くことなく
たえず動いている
月は記憶を失ってはいない
記憶は消えてはたち現れる>
この詩集の全てはここに
大自然のエネルギーは
常にあり
人間の歴史を超え
存在する
理知に支配された人間は
単に記憶として
残すが
記憶の中にも
大自然エネルギーはあり
そもそも詩の意味は
生死を超えた言葉イコール
寺・テラ 地球である
「十三夜の逆襲」
<月は空に昇るのが当然だと思い込んでいた
ある時は丸みを帯び ある時は鎌形で
月が満ち欠けして何がかなし と訝しみ
月愛でる歌詠みを陳腐な連中だと決めてかかった
ラフォルグが月を溺愛し 朔太郎が月に吠えようが
サンポリスト達の常套手段にも心ひかれなかった
・・・・・・
真夜中の一時 近眼老眼いり混じった瞳に映った月は
大きな光輪に囲まれ 青白い気体があふれてて・・・・
いにしえの時をはるか頭上に直感したその瞬間こそ
惑乱の不意打ち・・・
束の間の生を暗闇から虚空へやがて
放り上げられ それから
宇宙の塵になるのなんのとジタバタしても
月はただ公平にめぐりめぐるのだ>
インテリほど理知の誇りがあるので、上っ面の頭を取って
内なる光の感得には至らない。しかし、詩人においても
ゲーリーシュナイダーやまどみちおや中尾彰秀のごとく
内なる宇宙一体に至ったやからがいる。理知を身に付けて
しまった現代人は、やはり、瞑想・気功・レイキ・禅などを
やってど頭を取りましょう!!中尾彰秀に至っては、その上に
ピアノインプロヴィゼイションの世界的達人になって、本物の
ヒーリング音楽とのたまっている。ジャジャン。
Posted by nakao at
17:59
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