2012年03月11日

インドを訪れて

<インドを訪れて> 記 名古きよえ          詩人・画家

 今年二十四年二月一日から八日までインドを訪問した。日本詩人クラブで
日印交流六十年とタゴール生誕百五十年記念でインドの詩人と交流するの
が主な目的だった。委員長中村不二夫氏、事務局長谷口ちかえさんを始め
委員の方々のお陰で、参加者の作品集アンソロジーを携えて行った。参加
者は三十四名だた。
 インドの気候は朝晩は冷え、昼は温度が二十七度位にもなった。
 二月三日、国際日本センターでセレモニーに続き基調講演で日本側から
「小川英晴、痲生直子、」交流会では「中原道夫、原田道子、尾世川正明、
名古きよえ、」が詩の朗読、石野茂子がご詠歌を、インド詩人の講演、詩劇で
新川和江の「わたしを束ねないで」「タゴール詩」が演じられ盛会で、若いインド
詩人も多かった。
 二月四日はコルカタへ行き、サヒティヤ・アカデミー図書館を見学、インド国立
文学館のホールで両国詩人十六名の朗読会があった。
 堂々たる詩人の穏やかな表情に心がなごみ詩のリズムに感じるものがあった。
やはり詩は声を得て他者に伝わると。
 後で日本人全員で日本の歌「上を向いて歩こう」等を歌い、日本へ留学してい
たと言う女性に話しかけられ、少し英語で話ができた。
 バスで五時間の移動となると途中に休憩があり広々とした田圃を眺めた。日本
でかつて家族や村人たちと協力して田植えをしたあのままが見られて、牛も頑張
って田を金助いていたし、苗代で苗を束ねている女たちの姿も見た。畑には青々
とした葉っぱが育てられていたが車窓からでは見分けがつかず、小さな家は大樹
の下で大地にへばりつくように見えた。
 五日目に訪れたマザーテレサの家は民家の一角、路地の奥にあった。静けさと
祈りが漂っていて、広間には大理石でお棺の形をしたモニュメントがあって、私たち
はそこで各自静かな時を過ごした。彼女は自らを幸せにした賢明で忍耐強い人だと
思った。その後シャンデリケタンの国際タゴール大学日本学院へ着いたのは夕方だ
った。学生たちが日本語で一人一人自己紹介をしてくれて和やかな出会いで、中村
氏が校長にお礼と贈り物をされ、日本詩人は一人一人小さな生花[ブーケ]を戴いた。
 雨が降らず乾いたインドの風も、夜になると湿気で、土や樹木の香りがする。最近
になって、秋野不炬の絵が好きになり、彼女の描いた女性の美しさや赤い土を見たい
と思った。インド門を見学したとき、少しゆとりの時間があったので散策して赤い土を
踏みしめ、これがあの色だと写真に収めた。きめの細かいさらっとした土だった。高く
大きなインド門は小麦粉色をしている。この石には第一次世界大戦争で亡くなった兵士
(約八万五千人)の名が刻まれている。
 旅の終わりにコルカタのラビンドラ岡倉会館を訪れた。ホールで一時間もタゴールダ
ンスを鑑賞し、若い男女のすばらしい表現に感動した。次に階上のホールで両国の朗読
が行われ、ベンガル語かヒンズー語か分からないが詩からは言語が持つリズムの快感や
共感が伝わり、日本の石川啄木や俳句の影響も少しはあるように思った。四回も朗読会
が持たれ、参加者すべて緊張した朗読の経験が出来た。
 観光ではタージマハル、私は二十四年前に数名でインドを訪れた時と変わらず白く高く
美しいと思った。タゴール国際大学散策、記念館、博物館の真っ白な建物にも驚いた。タ
ゴールは日本へ四回とも六回とも言われるほど来ている。庭には池があり花や木々が豊
かに植えられていた。生家はお城のように大きく彼の絵も展示されていた。生まれた部屋、
亡くなった部屋も見学した。彼は舞踊を見るのが大好きだった。
 オールドデリでは二人乗りの力車に乗ったが人や車が混雑する中、スリル満点で、インド
の熱気を感じた。ニューデリーは二十四年前に見た牛や鶏の姿は無く、車とバイク等の混雑
、しかし夜十二時になると人や犬の吠える声もぴたりと途絶えて静寂に包まれた。

                     この文章は、名古きよえ氏の寄稿です。



   


Posted by nakao at 16:39Comments(0)芸術