2013年01月15日

村上詩通信140

<村上詩通信140号> 詩評 中尾彰秀             詩人・ピアニスト・ヒーラー

 世界を至福にする百の詩集(1)

 「村上詩通信」140号 2012年 出版・村上久雄 無料 A4一紙
                      4隅に写真 真中に一篇の詩
                  Eメール  murakami9u@hera.eonet.ne.jp

        山並に人も色ずく紅葉坂
        人生はまことに山並にあり
        昇る人生
        下る人生
        人間の疑問は
        果てしないが
        生死を超えて
        山は答えを持っている
        梵我一如

     「思わぬ貰いもの」

<近くの山は すでに葉を落としていたが 最後の紅葉を求めて出かけた。
 日曜日とあって どこも人人である。 土佐街道を歩く人の群れを抜けて
 高取山へ向かった。 城祉本丸へ行くと 紅葉した木々の向こうに 定番の
 高見山が見えた。 ところが 葉を落とした木々の向こうに 台高山脈の山
 並みが連なって見えた。 屈んだり背伸びをしたり 右へ寄ったり左へ寄っ
 たり あの脳裏に焼き付いた 懸案の山並みを探した。 大阪市内の病院に
 入院していた 母の病室から眺めた山である。 それは国見山と水無山であ
 った。 水無山から国見山への急な下り そして緩やかな下りを思い出した。
 紅葉を見に来て 抱え込んだ疑問が解けて 思わぬ貰い物をしたような 嬉し
 い気分だった。>

         雑文しか解さぬお方がたでも
         実際かくなる山に行けば、解る。
         心情の説明をしないのが詩。
         この詩に含まれた意味は、大自
         然に迫るのだ。今は亡き母は、山
         のどこかにいる。大自然は人間自
         身が持っているのだ。  


Posted by nakao at 16:50Comments(0)芸術