2013年01月16日

下前幸一、詩のちらし

<下前幸一 詩のちらし> 詩評 中尾彰秀             詩人・ピアニスト・ヒーラー

 世界を至福にする百の詩集(2)

 「詩のちらし」 2013年1月10日号 下前幸一  無料 少数印刷

     世界中で大災害が起こっている。
     これからも起こるだろう。いつどこで?
     それは分からない。
     既に起こった東北においては
     とてつもない大きな被害となったが
     世の詩人達にせよ
     心を魂を痛め、被災者たちを
     元気付けるべく癒すべく
     書いた詩がある。
     しかしこれは
     詩人自らが
     存在の源を見つめ
     万人を癒そうとする
     普遍的な詩業なのである。
     あらゆることものは
     形態を超えて
     時代を超えて
     結びついている
     風のなびきのごとく
     古代より続く
     海の潮鳴りのごとく
     今こそ
     万物は一体であるが故
     無謀なる原発は止め
     大切なものに
     目覚めねばならない。

     「三・一一へ (あなたを忘れないために)」

<あなたを忘れないために 宛名のないひと時に

 物思いのゆらぎを 心の疼きを 私のどこかに刻み込むために

 刻々と崩れるように 現実が記憶に 記憶が喪失になだれ込んでいく

 納納と暮らす日々のまにまに それでも あなたを忘れないために

 吹き抜ける私の空洞に 声が木霊するように

 帰れないあなたの故郷に 小さくガレキの言葉が咲くように

 乾いた大地の 活断層のうずきに 

 計画停電の所在ないひとときや 停電した闇のしずくに

 黄色い仮設の海原に あなたを見送るために

 寝静まった排水口の 記憶の緑にたたずんで

 まだ言葉にはならない 今をどこか 場所に繋ぎとめておくために

 宛先のない手紙を 書き送ります 非在の場所へ

 フクシマ 青く発熱する 沈黙の方へ>

       


Posted by nakao at 17:15Comments(0)芸術

2013年01月16日

魂笑い

<魂笑い> 記 中尾彰秀              詩人・ピアニスト・ヒーラー

 やはり私は天才である
 この作を読み直し
 そう確信しつつ泣いた
 知人に以前の「森羅通信」を送る折
 この一文を再読して

 再読に耐えることは重要である
 本物確認のバロメーターなのだ
 学校の教科書などは未だに
 試験さえ終わればもう用はない
 しろものらしいが

 「森羅通信」142号 2009年10月
 「セッションのおはな詩」(79)

 <うっとうしい時代ほど、笑いは必要である。かつての、戦時中、敗戦間際でも
  ない限り、うかつに笑うと、若人は皆お国のために命を捧げているのに、お前、
  何を笑うているんや!さて現代のうっとうしい時代であるが、とにかく笑うたもん
  勝ち。大笑い、嘘笑い、微笑、貰い笑い、高笑い、泣き笑い、ケンケン笑い、含
  み笑い、恵比寿笑い、苦笑い、感謝笑い・・・。笑えば既にあるがん細胞のいく
  つかは消滅するらしいが、少なくとも活力が出るのだ。特にありがたい気持ちで
  感謝一杯の仏さまの笑いは、人生を好転させる。今も昔も笑う門には福来たる。

  ちなみに現代のうっとうしさは、作られたものである。いわゆるうっとうしさは、一
  般的な欲望、贅沢を満足させるのが良しとする世界観を前提にしているのだ。そ
  の間違いに気付き大自然を大切にし、自然に即した生き方考え方をしておれば、
  現代はうっとうしいどころか、非常に良くなっている。しかし決して、勘違いをされ
  てはいけません。社会から離れて自然なる営みをすることが、自然ではありませ
  ん。

  なにがあろうとなかろうと、この世界宇宙に感謝し、自分を祝福すること。自分自身
  と森羅万象とは、奥域で等しいと気付くこと。それが魂笑いなのです。>  


Posted by nakao at 16:23Comments(0)芸術