2014年02月03日
ヒマーラヤの星
<ヒマーラヤの星> 記 中尾彰秀 詩人・ピアニスト・ヒーラー
世界を至福にする百の詩集(60)
「ヒマーラヤの星」 奥田博之詩集 2002年 詩画工房 2310円 A5版 171頁 33篇
「私のなかの神が見ている」
<樹海は両手を広げて ただ欠伸をしているわけではない 海だって嵐を呼び波風を立て
草原だって大きく波打っているし 街路樹だって夜を身に受けて 滅びを体感しているし
高層ビルだって動悸が激しいし 道路は膿で一杯である
骨組みは生きもの 腹を立てたら 機械だって黙ってはいないし 不具合があればミサイル
だって誤爆する 何もかもがどこかで繋がっていて すべては生きている 笑いもするし泣き
もする
ときには牛飼いや羊や 番犬や闘鶏 ジャコウネコや蛇であったり 脳を駆け巡るドーパミンや
残忍さであったりする
平和を夢見ても金属片が形を変えては 次から次へと空から降ってきて いつまでたっても
陽のあたらない 袋小路であったり
地球はどこかが狂っているから 舞台では髑髏の舞いが上演され 流された血よりも多くの
喝采があったりする
穴の中では鳥は唄うことをやめ 山だって生きているのに息を殺している 事の成り行きを
見ているのは 人間だけではないのだ
雨の日も晴れの日も曇りの日も 田圃の泥鱒だって たんぽぽだって 縁側に這い出す虫だって
見ている 第一 わたしのなかの神が見ている>
インドに渡り13年間ラーマクリシュナ僧院で修行した詩人。故人。
数冊の詩集の中でこの一冊が、インドでの来歴を最も明確にして
おり、瞑想に基ずく魂の追究を一つの詩にするその業績は後世に
残る。自意識の止まり、方法論詩言葉に終始するほとんどの現代
詩は反省せねばならない。腐敗した詩評、腐敗した詩人はしかし
いつまでもそのままではないであろうが。
内なる光を明確に捉え、様々の行為として世界に指し示すこと。
外的な物と感情(抒情)ばかりにはまった欧米の発想との違いに
注目!!人間とは他ならぬ内なる神秘そのものである。宇宙に
生かされたそのダイナミズムは生命の爆発。
世界を至福にする百の詩集(60)
「ヒマーラヤの星」 奥田博之詩集 2002年 詩画工房 2310円 A5版 171頁 33篇
「私のなかの神が見ている」
<樹海は両手を広げて ただ欠伸をしているわけではない 海だって嵐を呼び波風を立て
草原だって大きく波打っているし 街路樹だって夜を身に受けて 滅びを体感しているし
高層ビルだって動悸が激しいし 道路は膿で一杯である
骨組みは生きもの 腹を立てたら 機械だって黙ってはいないし 不具合があればミサイル
だって誤爆する 何もかもがどこかで繋がっていて すべては生きている 笑いもするし泣き
もする
ときには牛飼いや羊や 番犬や闘鶏 ジャコウネコや蛇であったり 脳を駆け巡るドーパミンや
残忍さであったりする
平和を夢見ても金属片が形を変えては 次から次へと空から降ってきて いつまでたっても
陽のあたらない 袋小路であったり
地球はどこかが狂っているから 舞台では髑髏の舞いが上演され 流された血よりも多くの
喝采があったりする
穴の中では鳥は唄うことをやめ 山だって生きているのに息を殺している 事の成り行きを
見ているのは 人間だけではないのだ
雨の日も晴れの日も曇りの日も 田圃の泥鱒だって たんぽぽだって 縁側に這い出す虫だって
見ている 第一 わたしのなかの神が見ている>
インドに渡り13年間ラーマクリシュナ僧院で修行した詩人。故人。
数冊の詩集の中でこの一冊が、インドでの来歴を最も明確にして
おり、瞑想に基ずく魂の追究を一つの詩にするその業績は後世に
残る。自意識の止まり、方法論詩言葉に終始するほとんどの現代
詩は反省せねばならない。腐敗した詩評、腐敗した詩人はしかし
いつまでもそのままではないであろうが。
内なる光を明確に捉え、様々の行為として世界に指し示すこと。
外的な物と感情(抒情)ばかりにはまった欧米の発想との違いに
注目!!人間とは他ならぬ内なる神秘そのものである。宇宙に
生かされたそのダイナミズムは生命の爆発。
Posted by nakao at
12:22
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