2014年02月10日

行き着くところ

<行き着くところ> 記 中尾彰秀                  詩人・ピアニスト・ヒーラー

    -------中尾彰秀詩音講座(21)-------

 音楽の催しにては
 ほとんどの出演者は
 譜面に基ずいて
 人の曲を奏じる
 古今東西無数にあるが
 所詮人の曲

 詩人は偉いことに
 自らの詩を朗読する
 詩でも地方の3流は
 言語道断
 有名詩人の詩を
 無断で読む
 もちろんその者達は
 私より遥かに上手
 しかし何の意味もない

 ちゃんとしたイベントでは
 詩人は自らの詩を読む
 約半分はど下手である
 しかし素晴らしい味がある

 かねてより不思議に思っていたのは
 なぜ音楽のイベントでは
 音楽家は
 人の曲を偉そうに奏じるのかだ
 詩人達を見習わねばならない
 確かに詩人の主宰するイベントでは
 人の曲を奏じる者を
 ゲストにしてはいるが

 ひょっとしたら譜面には
 内なる光が
 隠されているのだろうか
 時たま才ある者は
 その気付きの演奏をする
 そう言えば
 詩には
 作者にも解らぬ
 光が隠されていて
 即座に私はそれに感応して
 朗読とピアノセッションしている
 伴奏レベルではない
 セッションとは
 内なる光に包まれ
 宇宙一体波動エネルギー
 となることだ

 誤解してはいけない
 内なる光とは
 何の媒介もなしに
 輝くことだ
 たまさかにそれがやって来て
 天降りの音楽になる
 それがピアノインプロヴィゼイション

 もう故人だが
 音楽がいくらでも降って来るんだったら
 譜面はいらないね
 でもたまにショパン弾きたくならない?
 そう言った偉い音楽大学の教授がいる
 私はこう答えたものだ
 ショパンより遥かにすごいと
 思っているので
 全く弾きたく思いません

 お習いと訓練というプロセスは
 何にでもあるものだが
 多くの方々と私は喧嘩をしない
 どんな方法であろうとも
 尊く素晴らしく楽しく
 行き着くところは
 光なのだから
 

   


Posted by nakao at 18:38Comments(0)