2014年04月13日
ズールソックス
<ズールソックス> 記 中尾彰秀 詩人・ピアニスト・ヒーラー
着換える時
ずるっと脱げてしまう
潔さは褒められる
普通に履いていても
少し歩くだけで
足首まで垂れる
ふしだらといい加減を楽しめる
裏腹に実はすぐれもの
冬温い
締め付けない
捨てる前に
雑巾として活躍
子犬はいち早く見つけ
中に入って遊ぶ
何と言ったって
サンタさんのクリスマスプレゼント
たくさん入る
語源は
ズルッでも
ずるいでもなく
ドールの変形
人形さんみたいに可愛い
着換える時
ずるっと脱げてしまう
潔さは褒められる
普通に履いていても
少し歩くだけで
足首まで垂れる
ふしだらといい加減を楽しめる
裏腹に実はすぐれもの
冬温い
締め付けない
捨てる前に
雑巾として活躍
子犬はいち早く見つけ
中に入って遊ぶ
何と言ったって
サンタさんのクリスマスプレゼント
たくさん入る
語源は
ズルッでも
ずるいでもなく
ドールの変形
人形さんみたいに可愛い
Posted by nakao at
16:50
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2014年04月13日
曲名決定の奥義続続続続
<曲名決定の奥義続続続続> 記 中尾彰秀 詩人・ピアニスト・ヒーラー
南方熊楠と言っているような音がするので、「南方熊楠へのオマージュ」とした曲。
この現象は偶然ではない。2007年1月13日、田辺の南方熊楠会館へ行く前日の
演奏なのだ。そもそも田辺在住の詩人、桑原広弥氏にこの新曲をプレゼントする為。
実は「オマージュ」の言葉は、桑原氏のアイデア。それ何、お饅頭かいなと私は聞いた。
内なる大自然のエネルギーが躍動するとてつもなく美しい即興ピアノ曲となっている。
60分 CD このアルバムは、中尾彰秀第18詩集「龍の風」(竹林館 定価3000円)
の付録として詩集の最後に挟んでいる。詩人自らの、世界唯一の曲を詩集とセットに
するのは他に類のないことである。
なお、本体の詩は、リアリズムの中にシュールも波動エネルギーも込められた、現代詩
の最たる異端で魂の奥域から万類を癒すものである。
~ ~ ~ ~ ~
いかにも天使の道の感じられるジャズ風の一曲がある。
「ROAD OF ANGEL」というアルバムの、同名の曲。
2010年、スタインウエイの弦を張ったヤマハグランドは、いかにも確かに弾いて弾いて
と言わんばかりに波長を高めていたのだ。嵐のごとく荒れた日の夜、適度の風となった
その時。5月24日、紀三井寺のライブハウス「デサフィナード」。この時期にこのピアノで
「地水火風」 「護摩山の霊光」 (同アルバム)などの内なる光溢れるヒーリング曲を奏
じている。このアルバムもピカ一の一枚となっている!!
中尾彰秀第16ピアノCD 「ROAD OF ANGEL」 13曲 68分
森羅通信の会出版 定価1000円
(購入法) 郵便振替 森羅通信の会 00940-4-29604 定価+送料なし
(詩集もCDも)
南方熊楠と言っているような音がするので、「南方熊楠へのオマージュ」とした曲。
この現象は偶然ではない。2007年1月13日、田辺の南方熊楠会館へ行く前日の
演奏なのだ。そもそも田辺在住の詩人、桑原広弥氏にこの新曲をプレゼントする為。
実は「オマージュ」の言葉は、桑原氏のアイデア。それ何、お饅頭かいなと私は聞いた。
内なる大自然のエネルギーが躍動するとてつもなく美しい即興ピアノ曲となっている。
60分 CD このアルバムは、中尾彰秀第18詩集「龍の風」(竹林館 定価3000円)
の付録として詩集の最後に挟んでいる。詩人自らの、世界唯一の曲を詩集とセットに
するのは他に類のないことである。
なお、本体の詩は、リアリズムの中にシュールも波動エネルギーも込められた、現代詩
の最たる異端で魂の奥域から万類を癒すものである。
~ ~ ~ ~ ~
いかにも天使の道の感じられるジャズ風の一曲がある。
「ROAD OF ANGEL」というアルバムの、同名の曲。
2010年、スタインウエイの弦を張ったヤマハグランドは、いかにも確かに弾いて弾いて
と言わんばかりに波長を高めていたのだ。嵐のごとく荒れた日の夜、適度の風となった
その時。5月24日、紀三井寺のライブハウス「デサフィナード」。この時期にこのピアノで
「地水火風」 「護摩山の霊光」 (同アルバム)などの内なる光溢れるヒーリング曲を奏
じている。このアルバムもピカ一の一枚となっている!!
中尾彰秀第16ピアノCD 「ROAD OF ANGEL」 13曲 68分
森羅通信の会出版 定価1000円
(購入法) 郵便振替 森羅通信の会 00940-4-29604 定価+送料なし
(詩集もCDも)
Posted by nakao at
16:39
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2014年04月13日
奇跡の詩篇
<奇跡の詩篇> 記 中尾彰秀 詩人・ピアニスト・ヒーラー
世界を至福にする百の詩集(72)
武西良和詩集 新日本現代詩文庫105 土曜美術社 2012年 1400円+税
「踊り場の子ども」
<教室を飛び出たのは みんなに自分を見つけてもらいたくて お母さんに心配してもらいたくて
子どもは迷っている 迷路のようになった学校の階段で 上がってきた踊り場で ここは何階だ
ったのかと どこにも表示がなく ここの窓が高くて薄暗く 見上げてみても 振り返っても 何階
へ続くのか分からない
女の子はそこで 分からない という答えを見つけてしまった
だから友達の顔も 担任の先生も 自分の教室も 知らないと言ってしまった
算数の繰り上がりも 繰り下がりもできないことを 認めてくれなかった 二時間目 階段の踊り場
に立って 分からない を見つけてしまった
いらいらを鎮め 悩みを解決するステキなことばを 胸ポケットに入れてその子は 階段を下り始めた>
何でも分かっているかのごとき、先生の教え方は、基から
間違えている。ゼロと無限とを分からずに算数を教え。
波動音域を知らずに表音ばかりの西欧音楽を教え。
無限を内に抱く現代美術を知らずに美術を教え。
身体の中には大自然があることを知らずに、外の自然を教え。
医食同源、食べ物で健康は決まると知らずに妙な給食を食べさせ。
進学と人間性は全く関係ないという確信を持たずに、進学を勧め。
がんじがらめの教育の中で、子供は本能的に目覚める。
押し付けでない自然なところに、何か本物があることに。
それは「分からない」という出発点。
こんな詩を書く校長先生は、それ自体 奇跡である。
世界を至福にする百の詩集(72)
武西良和詩集 新日本現代詩文庫105 土曜美術社 2012年 1400円+税
「踊り場の子ども」
<教室を飛び出たのは みんなに自分を見つけてもらいたくて お母さんに心配してもらいたくて
子どもは迷っている 迷路のようになった学校の階段で 上がってきた踊り場で ここは何階だ
ったのかと どこにも表示がなく ここの窓が高くて薄暗く 見上げてみても 振り返っても 何階
へ続くのか分からない
女の子はそこで 分からない という答えを見つけてしまった
だから友達の顔も 担任の先生も 自分の教室も 知らないと言ってしまった
算数の繰り上がりも 繰り下がりもできないことを 認めてくれなかった 二時間目 階段の踊り場
に立って 分からない を見つけてしまった
いらいらを鎮め 悩みを解決するステキなことばを 胸ポケットに入れてその子は 階段を下り始めた>
何でも分かっているかのごとき、先生の教え方は、基から
間違えている。ゼロと無限とを分からずに算数を教え。
波動音域を知らずに表音ばかりの西欧音楽を教え。
無限を内に抱く現代美術を知らずに美術を教え。
身体の中には大自然があることを知らずに、外の自然を教え。
医食同源、食べ物で健康は決まると知らずに妙な給食を食べさせ。
進学と人間性は全く関係ないという確信を持たずに、進学を勧め。
がんじがらめの教育の中で、子供は本能的に目覚める。
押し付けでない自然なところに、何か本物があることに。
それは「分からない」という出発点。
こんな詩を書く校長先生は、それ自体 奇跡である。
Posted by nakao at
15:39
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2014年04月13日
小便発電
<小便発電> 記 中尾彰秀 詩人・ピアニスト・ヒーラー
20年は経つだろうか
一度訪れたことのある
十三駅裏のションべン横丁
つい最近火事でかなり焼失したという
人為のものであったのかあるいは
歴史の流れで
いいこと悪いこと様々あるのは
事実であるが
再建されればなあとも思う。
立派なホースを持っておれば
立ち小便は確かに快感である
昨今洋式トイレは
大小男女兼ねており
利用する度
欲しくもないとても有り難い
おつりが出る
時たまその有り難いおつりは
目に入ったりするが
眼薬だと思って
感謝の気持ちで
あたふたと水洗いせねばならない
一瞬でもこんちきしょうの念を持ったら
便所に潜む邪霊に
とりつかれてしまうからだ
なお合掌して便所を去ること。
ちなみに
脚の長さで個人差あるが
台を作って高い位置から
豪快に放出すれば
小便発電は可能ではないだろうか
夜何度も小用に立つ高齢者は
特に高率発電てな風に。
そういえば
半年ほど前に
当ブログに記した
電力会社を選べるスマートメーターは
無線に対する無防備のまま
アメリカのまねして
どんどん採用されているようだが
そのアメリカで大いなる
電磁波健康被害の出ているという情報は
上手に封印されて。
20年は経つだろうか
一度訪れたことのある
十三駅裏のションべン横丁
つい最近火事でかなり焼失したという
人為のものであったのかあるいは
歴史の流れで
いいこと悪いこと様々あるのは
事実であるが
再建されればなあとも思う。
立派なホースを持っておれば
立ち小便は確かに快感である
昨今洋式トイレは
大小男女兼ねており
利用する度
欲しくもないとても有り難い
おつりが出る
時たまその有り難いおつりは
目に入ったりするが
眼薬だと思って
感謝の気持ちで
あたふたと水洗いせねばならない
一瞬でもこんちきしょうの念を持ったら
便所に潜む邪霊に
とりつかれてしまうからだ
なお合掌して便所を去ること。
ちなみに
脚の長さで個人差あるが
台を作って高い位置から
豪快に放出すれば
小便発電は可能ではないだろうか
夜何度も小用に立つ高齢者は
特に高率発電てな風に。
そういえば
半年ほど前に
当ブログに記した
電力会社を選べるスマートメーターは
無線に対する無防備のまま
アメリカのまねして
どんどん採用されているようだが
そのアメリカで大いなる
電磁波健康被害の出ているという情報は
上手に封印されて。
Posted by nakao at
14:48
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