2015年02月09日

さりげない放置

<さりげない放置> 詩 中尾彰秀              詩人・ピアニスト・ヒーラー

 さりげなく置かれた
 7台目

 後に高齢者マーク
 きちんとスタンドで立てられたそれは
 既に長期に渡って放置された6台に
 敬意を払いつつ寄り添い
 りりとして

 ここに来たのは1か月前
 まだ前に進むという活力が
 風を呼びとぐろ引き寄せる
 背後に緑一杯の
 風景が広がる
 川だ川が延々と伸びて

 前輪はパンクしている
 持ち主の品性
 私は疑わない
 歩道橋の上り下りする
 三角地帯
 この自転車の行方
 ここにありながら
 遥かなここへ
  


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2015年02月09日

詩の教室(う)

<詩の教室(う)> 記 中尾彰秀              詩人・ピアニスト・ヒーラー

 つい先日の「EARTHPOEMPROJECT----詩の教室-----」第1回は
 無事終了大成功であった。

 一冊の詩集を指定して
 それに関しての
 批評朗読鑑賞。
 新たな発見があり
 主催者側でも大いに
 勉強になったのである。

 選んだ詩集は
 「明日の詩の目覚めに」 河本澄一遺稿詩集 竹林館 1500円+税

 手書きでコピーした作は
 「過ぎ逝く日々」と「秋降る日」。
 他数篇を朗読した。

 詩の解釈と理解は
 様々、読む側の理解度に大いに委ねられるが
 注意点として
 この二作は
 およそ物的リアリズムの次元でなく
 魂の煌めきに至る波動力を持っており
 存在のあるとないの狭間を超えた
 癒しに密着していることだ。
 後者の舞台の小学校は
 40数年前でありながら 
 時空を超えた宇宙から降り注ぐ
 光にあふれ
 前者の「私を通って私自身に会う」は
 正しく今ここの瞬間で永遠の
 宗教的超感覚・癒しの次元である。

 世界の社会事情や
 現代の時代を踏まえながら
 人間としての魂の奥深さに
 改めて気付かさせられる
 ごく短い2時間であった。

 そして、最も重要なのは
 この教室という行いは
 受動ではなく
 能動であるということ。
 受身の既成文化のエクスタシーとは
 一線を引かねばならない。
 我々詩人は、
 人間の生き方を
 命懸けでかけているのだ。
 次回第2回は
 4月実施予定。  


Posted by nakao at 18:06Comments(0)