2011年04月20日
真昼の情事
<真昼の情事> 記 中尾彰秀 詩人・ピアニスト・ヒーラー
ジャケット製作の前に
何回となく聴いていると
フッと浮かんだ曲名
真昼の情事
ちょっと不良っぽい危険なフレーズ
どこがヒーリングサウンドですか
と怒られそうな
最近はヒーリングや癒しが
いやらしくなって
形だけの優しい人が奏じたサウンドを記憶して演奏して
ヒーリングと言ったり思ったりしている
そんなお方が多い
ヒーリングサウンドとは記憶の産物でなく
癒しの音色が天より降ってくる音楽である
不安や危機感のあるサウンドでも
全体の旋律としての波動が魂の奥域を和すれば
癒しなのである。
マイルスデイビスの「オンザコーナー」
ジョンコルトレーンの「クルセママ」
セシルテイラーの即興ピアノ
中尾彰秀ピアノインプロヴィゼイションシリーズ
それらは一例でありますが
さて、「真昼の情事」は、9分のピアノソロ(ピアノ・アトラス)
アルバムジャケットの詩は、昼月との貴重なる対話だ。
<ちょっとおめかしして いい服着て 丘の手前の わだちのある道端で
真昼の月と対話 あなたいくつ 一億才 ハハーン ハハーン
数億人の異性(星)と付き合って その甘い秘密に 堪能したのです
だから いいあんばいに 冷えて 白く 丸く さあ 私の懐においで>
収録アルバム 中尾彰秀第11ピアノインプロヴィゼイションCD
「Shall we dance in the moon」
70分 13曲 森羅通信の会 定価1000円
(購入法) 郵便振替 森羅通信の会 00940-4-29604 定価1000円
+送料200円
ジャケット製作の前に
何回となく聴いていると
フッと浮かんだ曲名
真昼の情事
ちょっと不良っぽい危険なフレーズ
どこがヒーリングサウンドですか
と怒られそうな
最近はヒーリングや癒しが
いやらしくなって
形だけの優しい人が奏じたサウンドを記憶して演奏して
ヒーリングと言ったり思ったりしている
そんなお方が多い
ヒーリングサウンドとは記憶の産物でなく
癒しの音色が天より降ってくる音楽である
不安や危機感のあるサウンドでも
全体の旋律としての波動が魂の奥域を和すれば
癒しなのである。
マイルスデイビスの「オンザコーナー」
ジョンコルトレーンの「クルセママ」
セシルテイラーの即興ピアノ
中尾彰秀ピアノインプロヴィゼイションシリーズ
それらは一例でありますが
さて、「真昼の情事」は、9分のピアノソロ(ピアノ・アトラス)
アルバムジャケットの詩は、昼月との貴重なる対話だ。
<ちょっとおめかしして いい服着て 丘の手前の わだちのある道端で
真昼の月と対話 あなたいくつ 一億才 ハハーン ハハーン
数億人の異性(星)と付き合って その甘い秘密に 堪能したのです
だから いいあんばいに 冷えて 白く 丸く さあ 私の懐においで>
収録アルバム 中尾彰秀第11ピアノインプロヴィゼイションCD
「Shall we dance in the moon」
70分 13曲 森羅通信の会 定価1000円
(購入法) 郵便振替 森羅通信の会 00940-4-29604 定価1000円
+送料200円
2011年04月20日
星を食べる魚
<星を食べる魚> 記 中尾彰秀 詩人・ピアニスト・ヒーラー
「星を食べる魚」
< 地球上には、星がもっともよく見える所がある。
ある時代、ある日にもっと見えたかもしれない。
毎日星がたくさん降ってくるような夜空に暮らしていると、たとえ星が見えない夜
でも、雲の上、月の上に星がいることがわかる。自分の冷蔵庫に何が入っている
か、見なくてもわかるように、宇宙が冷蔵庫になると、見えない星が入っているこ
とがわかる。このような体験の積み重ねは、自己を取りまく星星の世界にいる自
分を実感することになる。その時自分は、一つの星のようなものとなる。星の心は
遊び、絵本が生まれる。
「金の翼をもつ星を食べる魚は、夜空の星をほとんど食べてしまった。夜空は暗く
なり、魚の体は大きくなった。これに怒りを感じた夜空の女神シーラは、金の翼を
折った。暗い闇に落ちていく魚の口からは、たくさんの星がきらきら飛び出した・・
・・・・・・」 >
「宇宙の森へようこそ」 長谷川時夫著 地湧社 1800円+税 より
食べる循環ということは、例え宇宙においても
生命を食べてエネルギーを得てから、排泄し
新たなエネルギーになること。
この魚にとって星はエネルギーなのだろう。
しかし宇宙にも、バランスがある。
鳥だって柿の実を残すではないか。
危険なる一線を越えてまで、
エネルギーを求めてはいけない。
後のしっぺ返しがきつい。
童話や絵本を
子供のものと決め付けてもいけない。
大人の常識を覆して
童話も絵本も詩も音楽も真実も
存在する。
「星を食べる魚」
< 地球上には、星がもっともよく見える所がある。
ある時代、ある日にもっと見えたかもしれない。
毎日星がたくさん降ってくるような夜空に暮らしていると、たとえ星が見えない夜
でも、雲の上、月の上に星がいることがわかる。自分の冷蔵庫に何が入っている
か、見なくてもわかるように、宇宙が冷蔵庫になると、見えない星が入っているこ
とがわかる。このような体験の積み重ねは、自己を取りまく星星の世界にいる自
分を実感することになる。その時自分は、一つの星のようなものとなる。星の心は
遊び、絵本が生まれる。
「金の翼をもつ星を食べる魚は、夜空の星をほとんど食べてしまった。夜空は暗く
なり、魚の体は大きくなった。これに怒りを感じた夜空の女神シーラは、金の翼を
折った。暗い闇に落ちていく魚の口からは、たくさんの星がきらきら飛び出した・・
・・・・・・」 >
「宇宙の森へようこそ」 長谷川時夫著 地湧社 1800円+税 より
食べる循環ということは、例え宇宙においても
生命を食べてエネルギーを得てから、排泄し
新たなエネルギーになること。
この魚にとって星はエネルギーなのだろう。
しかし宇宙にも、バランスがある。
鳥だって柿の実を残すではないか。
危険なる一線を越えてまで、
エネルギーを求めてはいけない。
後のしっぺ返しがきつい。
童話や絵本を
子供のものと決め付けてもいけない。
大人の常識を覆して
童話も絵本も詩も音楽も真実も
存在する。