2012年11月06日
眺める詩
<眺める詩> 詩 中尾彰秀 詩人・ピアニスト・ヒーラー
眺めるとは
兆の物事を
一目瞭然にすること
しかし
余りにも多くであるため
眺めるだけでは
学校のお勉強のごとく
理知に固まり
本質に至らない
もしも
一即多 多即一なる
梵我一如に通じる精神を持てば
詩的に「眺める」やら
兆の哀愁と宇宙一体の魂となって
人類を幸せに導く
本質に至る
「眺める」
<かつての青年は オジさんになり かつてのオジさんは 老人になった
デイズニーのファンタジーではないが あなたは知っているに違いない
肉体は衰えるにせよ 心掛けひとつで 年とればとるほど 若返る魂の
あることを
ピアノインプロヴィゼイション
人生を光と化す術 音の腹線は風のイス 重力ものともせぬ
目に見えぬ 飛鳥のふところで>
眺めるとは
兆の物事を
一目瞭然にすること
しかし
余りにも多くであるため
眺めるだけでは
学校のお勉強のごとく
理知に固まり
本質に至らない
もしも
一即多 多即一なる
梵我一如に通じる精神を持てば
詩的に「眺める」やら
兆の哀愁と宇宙一体の魂となって
人類を幸せに導く
本質に至る
「眺める」
<かつての青年は オジさんになり かつてのオジさんは 老人になった
デイズニーのファンタジーではないが あなたは知っているに違いない
肉体は衰えるにせよ 心掛けひとつで 年とればとるほど 若返る魂の
あることを
ピアノインプロヴィゼイション
人生を光と化す術 音の腹線は風のイス 重力ものともせぬ
目に見えぬ 飛鳥のふところで>
2012年11月06日
詩人・木村永遠
<詩人 木村永遠> 記 中尾彰秀 詩人・ピアニスト・ヒーラー
40年近く会った事がない
学生としてお互い京都にいた頃
詩の仲間となってから
会合で何回も会ってはいた
その頃合いで
和歌山の実家に
泊めたことがある
木造平屋で庭の広々した
自然一杯の裏が山の土地
彼とは何やかやと
詩やらジャズやら芸術やらの
話をし合った覚えがある
確か二三歳後輩
その後卒業してからは
電話が二三回
手紙が二三回
今に至るまで
良く覚えていたものであるが
今回は手紙を出した
何をやっているか
ブログで紹介するでと
詩人 木村永遠
詩のボクシング佐賀県大会準チャンピオン
大分市生涯学習・詩の指導者
大分県、福岡県、佐賀県での詩の朗読
フォトポエム展(大分市、別府市で開催)に参加 他
著作 詩集「おにぎり は すりすり」(命の詩「あつこ」他)
詩集「人生は、ドラマじゃ。」
ミニフォトポエム集「君は 風と一緒になる」 他
ブログ 「人生は、ドラマじゃ。」 http://niginigi.junglekouen.com/
ツイッター 名前 にぎにぎ
フェースブック 名前 木村永遠
私より遥かに出世している模様で、よかばってん。
古典情緒主義者と喧嘩せずに、どうかマイロードを
突き進んでくだシャイ。
京都時代は私は何やら不良の様であったが
いまだに京都の夢を見る。
40年近く会った事がない
学生としてお互い京都にいた頃
詩の仲間となってから
会合で何回も会ってはいた
その頃合いで
和歌山の実家に
泊めたことがある
木造平屋で庭の広々した
自然一杯の裏が山の土地
彼とは何やかやと
詩やらジャズやら芸術やらの
話をし合った覚えがある
確か二三歳後輩
その後卒業してからは
電話が二三回
手紙が二三回
今に至るまで
良く覚えていたものであるが
今回は手紙を出した
何をやっているか
ブログで紹介するでと
詩人 木村永遠
詩のボクシング佐賀県大会準チャンピオン
大分市生涯学習・詩の指導者
大分県、福岡県、佐賀県での詩の朗読
フォトポエム展(大分市、別府市で開催)に参加 他
著作 詩集「おにぎり は すりすり」(命の詩「あつこ」他)
詩集「人生は、ドラマじゃ。」
ミニフォトポエム集「君は 風と一緒になる」 他
ブログ 「人生は、ドラマじゃ。」 http://niginigi.junglekouen.com/
ツイッター 名前 にぎにぎ
フェースブック 名前 木村永遠
私より遥かに出世している模様で、よかばってん。
古典情緒主義者と喧嘩せずに、どうかマイロードを
突き進んでくだシャイ。
京都時代は私は何やら不良の様であったが
いまだに京都の夢を見る。