2014年09月11日

イリヤ14

<イリヤ14> 記 中尾彰秀              詩人・ピアニスト・ヒーラー

 地球を至福にする百の詩集(10)

 「イリヤ 14」 2014年 尾崎まこと発行 税込300円

     言葉で書こうとする諸々の詩はついに
     理知・実存・物的リアリズム・感情を超え得ないが
     世界宇宙つまり静けさを
     内に実感することによって
     波動となり
     それこそ
     芭蕉の言わんとする
     古池や蛙飛び込む・・・
     禅の境地となる
     余りにもかくなる詩がないのは
     欧米教育のたまものであるが
     日本ではまどみちお・中尾彰秀・ななおささき
     アメリカではゲーリーシュナウダー
     新たかに佐古祐二

     「静けさ」  佐古祐二

<あらゆるものが発芽する 土壌を 僕は 持っている

 それは 静けさに ほかならない

 耳をすます

 信じるがいい 静けさのなかに 耳をすますだけでいい

 世界が それ自身を 差し出してくれる>
  


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2014年09月11日

尾花仙朔詩集

<尾花仙朔詩集> 記 中尾彰秀               詩人・ピアニスト・ヒーラー

 地球を至福にする百の詩集(9)

 「尾花仙朔詩集」 思潮社現代詩文庫207 2014年 1300円+税

      実存的理知の限界を知る詩人は
      狂おしく吠え知を超えることなく
      苦悩に佇む
      しかし、常に持っているのだ
      内なる宇宙、癒しへの憧れを
      その真摯さはけなげであり
      愛すべき存在でもある
      「・・・・・ゴールの向こう
      秋の日は まるで大きな愁いげな 花を
      咲かせたもののようだ」
      ゴールとは
      今ここに生きている無限
      何もないが何でもある多次元のここ
      なのにね

      「霊領韻」

<鐘が鳴っていた 宇宙のどこかで 億年の時間を葬送する 久遠の 鐘が絶えず
 鳴っていた その鐘の音にゆらめきながら草原に錯乱と花が咲き 瑠璃色にかがやく
 湖があった ママン! ぼくはそこで見た光景を忘れる事が出来ない ふたたび幻
 のごとく草原に浮かび上がった 大伽藍から次々とあらわれでてきた者たち おお!
 それは白無垢の衣をまとった 牛や馬 そして羊や鶏の群れたち 彼らは皆初々しい
 額を上げて 光る湖に辿り行き・・・・・・・・銀の杖が宙空に・・・・弥勒は未だ現れない>

  


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2014年09月11日

らしくないところ

<らしくないところ> 詩 中尾彰秀               詩人・ピアニスト・ヒーラー

 あれは詩ではない
 とあるピアニストが言う
 ならば
 詩である詩とは何か
 むしろ詩でない所からやってくる詩こそ
 詩なのだ
 新たに作られる本物の音楽は
 およそ譜面からでなく
 音楽でない所からやってくる
 のと同じく

 創造性は常に
 らしくないところから出現し
 癒しの使命果たすべく
 静けさに共鳴る

 ベートーベンの「運命は」
 借金取りのドア叩く音
 2011年高石中央公民館にての
 中尾彰秀ピアノソロ
 「夜明けの砂浜で地球の背ビレを」(CD)は
 隣にたまたまあった小川のせせらぎの音
 芭蕉は蛙の古池に飛び込む音
   


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