2014年05月11日

キリンに乗って

<キリンに乗って> 記 中尾彰秀                詩人・ピアニスト・ヒーラー

 世界を至福にする百の詩集(81)

 「キリンに乗って」 やまもとなおこ童話集(絵・かまくらまい) 竹林館 2014年 52頁 定価1200円+税

       「宇宙の音楽会」とはどんなものだろう。
       ジャズかロックかクラシックか歌謡曲かフォークか
       そのどれにもあてはまらないヒーリングである。
       いかなる音楽も天あるいは宇宙(内なる)からやって来た、
       神がかりのヒーリングであったのだ。
       それをコピーして覚えるから、ジャンルに分かれる。
       技術に走る。作曲したときは、即興なのだ。
       ガチガチにお勉強して出来た偽物
       クラシックが偉いとお思いの方々よ、それすら全て実は
       出来た時は即興だったのだ。巨匠と同じく、全曲即興で
       800曲作曲し、27アルバム出版した奇跡の詩人ピアニスト
       中尾彰秀が断言いたします。
       天才詩人、山本なおこが童心で夢見る音楽は、
       ジャンルに分けられる前の   
       無数の動物生物の大自然の奏でる
       魂の音楽である。

       シュタイナーは言う。9歳までは誰でも宇宙一体の
       ひらめきがあると。ところが、欧米的理知に走る腐敗
       教育によって、がんじがらめの記憶力だけの秀才が
       出来上がる。英才教育が何だ、なめるなよ!!
       現代では常識的に魂の癒しを取り戻すべく、気功・レイキ
       瞑想・ヨガその他が、全国各地で行われている。
       当方の主催するEARTHPOEMPROJECTも
       詩・音楽の創造に限らずそれらを含んでいる。
       本物はかくあるべし。

       でな事で、いきなり反転いたした詩評ですが、
       大好きなキリンちゃんがやって来てくれて、
       背に乗せてもらって空を飛んで   
       宇宙の音楽会に行くというストーリー。
       絵も美しく詩も美しく。

       <・・・・・おじいさんは、キリンの小さな角にもふうわりと花わをのせました。
       キリンがうれしそうにうなずくや、おじいさんはまたしても、パチリと目をとじま
       した。キリンとおじいさんは、前からのなかのいいともだちのようでした。
       「きっといいことがあるよ。楽しみにしておいで」
       おじいさんはもう一度サチコに言うと、なみ木道をずんずん歩いていきました。
       「ね、キリンさん。おじいさんはどうしてお金をとらないの?」 「ここではお金は
       ちっともひつようではありません。おじいさんはあなたのえがおを目にうつしこ
       んでおいて、・・・・・・>  


Posted by nakao at 17:22Comments(0)

2014年05月11日

田川紀久雄詩集

<田川紀久雄詩集> 記 中尾彰秀             詩人・ピアニスト・ヒーラー

 世界を至福にする百の詩集(80)

 「聲を求めて-----詩語り論-----」 田川紀久雄詩集 鹿林書房 2014年 定価2000円 A5版 19篇 88頁

       なるほどとうなずかされる詩群。
       それは新しい文体や微妙な創造的詩や強烈な世界観ではない。
       発せられるであろう肉発的な言葉だ。
       知的分析によって実存の孤独を彷徨うのでなく
       直接的に神秘をも内に取り込む感性。
       大まかな表現は却って、効を奏している。
       そもそも詩はみーちゃんはーちゃん大好き綺麗事であってはならない。
       生々しい単純な深さを世の書き言葉詩は忘れている。
       世の詩賞も腐敗の一本道まっしぐら。

       「聲のいのちに」

<聲はテキストによって支えられている テキストは聲によって活かされる 聲の中には神様が
 宿っている 神様の言うことを率直に聴かなくてはいけない まず身体を清めてからテキストに
 一礼をする 言葉にも命が宿っている 私が求めてきた詩語りとは何であったのか 聴き手に
 新たな生命を与えることではなかったのでは 祈りの儀式のようなもの つねにいのちそのも
 のを感じさせたい いのちとの交信が詩語りでもある ・・・・・・

 言葉の奥に秘められている本当の言葉を求めて 聲が発せられる それはいのちのひかりで
 もある 本当の幸福が もしかしたらこの聲のいのちにあるのかもしれない 書かれた言葉の
 中ではなく 視えない言葉に向かって 命懸けで求めることによってしか 手に入れることの
 出来ない世界 きっと語りの聲の中に秘められている・・・・・>  


Posted by nakao at 15:56Comments(0)