2009年07月12日

ピアノ百聞一弾(2)

<<< ピアノ百聞一弾(2) >>>     詩人、ピアニスト 中尾彰秀

 先だっての(1)に於いて、一文添えるのを忘れました。このシリーズのテーマである一文
です。大事なことを含みにして抜かすのは、日本では”ゆかし”といいます。

    「百聞は一弾きにしかず」

 さてそれでは(2)。音文(音楽文化堂、和歌山市県庁前)小ホールは、いろんなイベントで
再三再四利用させてもらっている。ここには不思議なピアノがある。40年以上前のものであ
ろう、ディアパソングランド。クリアーで本当に、突き抜けた音がする。音の向こう側にある、静
かな森を容易に紡ぎ出すことができる。瞑想した後の余韻を楽しみながら、自然と鍵盤に引
かれ、志向する奥域に至っていることに私は気付く。音が出るのだ。出すのではない。この違
いは大きい。出るは、自然波動。出すは、人間の意識努力お勉強。1000万円以上するピア
ノでも、この静かなる奥域は、出るとは限らない。むしろ、出ないのだ。誤解されては困るので
言いますが、私はどのピアノでも出るように奏じております。何れにせよ、秀でた調律.調整の
ものに出合った時は、涙が出る程うれしくなって来るのです。なお、ドロドロした感情を出すを
好む御方には向きませんのでよろしく。
  


Posted by nakao at 17:09Comments(0)piano

2009年07月12日

ダイダラボッチ散歩クラブ

  「ダイダラボッチ散歩クラブ」    中尾彰秀第15詩集  竹林館 2000円+税

 ダイダラダラダラダイダラ、さあ歩きましょう。犬も歩けば、何とやら。幸せにぶち当たる。

 「 ほんの少し 」

「大雨の明くる日の 青空には もう ひっくり返ったバケツも 搾り皺もなく 大屋根の瓦
の端の 鶴の含み笑い 軒の下に安置された 根上がり盆栽と 川沿いの歩道に穴あけ
た 松の一列との 恋愛関係 真昼の煙が まぶしく立っている  ほんの少し 気に入っ
た ものたち ほんの少し 気に入られて 今ここにいる 私」

最後の一行に、超越的な世界を、含めた作品。人間は意識のみで生きるに非ず。
今ここに在るとは、無数の奇跡の集合であり、在らされているという事実。感謝と愛で満た
しましょう。平易な言葉で淡々と描かれている30篇は、全て散歩という日常を舞台にする。
富士山を一夜で作り上げた巨人、ダイダラボッチの伝承の精神に重なっている。

 「ほしのしくみ」

「ほしのしくみは ひかりの意味だ 実体はとうの昔 消えているのに 数年数百年数千年経
て やってくる光 ひかりの恩恵 計りしれず ひかりしれず ぬかりしれず 人間は 時折 
恩をあざで返す 一体 幾つある 歴史的聖戦の名 ほしのしくみは ひかりの意味だ あな
たの心 私の心 つたない愛の詩 単にほしのひとつの地球 距離も時代も国も ぶっ飛ばし 
今ここに発する いのちそのものだ」

  「さあお通り」

「さあ お通り 道の方から 飛び込んでくるときは 率直に それに従う 犬猫豚イタチ鳥亀ウ
サギ熊 手と手をつないで仲良く 讃美歌唄いながら 人間のこしらえた 社会や 人間が偉
そうに言う 世界を 超えた 全きものが 受け入れてくれているのだ  光る道 なまめく道
拡がる道 ドロドロの道 道なき道」

魂の未熟なものに引っ張られてはいけません。自らにある宇宙、永遠。

シュール俳句。  「蚊隠れや我が懐の宙に消え」   「死に際の蚊のひとことにゾクとする」
              「パアンとね一匹の蚊取り逃がし」    (蚊隠れ)

瓢然としたとぼけ。社会批評。ピアニストになってしまった詩。リアリズム。生命のオドロに立ち
向かう、癒しの光。既成の詩界に惑わされず、独自の普遍世界を押し進める。現代詩の可能
性と面白さをとことん拡げ、さらには、音楽界をも揺さぶっている。B6版、93頁、30篇。

  <ダイダラボッチ散歩クラブ>   中尾彰秀第15詩集

(購入法) 郵便振替 00940-4-29604  森羅通信の会 定価2000円+送料200円
             (おお供養を世に苦労多し)



  


Posted by nakao at 11:36Comments(0)芸術