2011年10月23日
詩人清水マサ
<詩人 清水マサ> 記 中尾彰秀 詩人・ピアニスト・ヒーラー
雑感アンソロ(5)
戦争は人間を、気狂わせる。
しかし、戦争に至るまでの人間の経済競争・独占競争こそ
既に、狂気以外の何物でもない。
ましてや、戦場の中においても、知恵ある人は、人を殺さなかったと
伝え聞く。
詩も音楽も芸術も人間自体も
平和の魂たる、知恵を深め広めるべく
この世にあることを、忘れてはならない。
改めて、その確信を強化する一詩あり。
「夏の夜の記憶」 清水マサ
<・・・・・・真夜中 空襲警報のサイレンで目が覚めた 村中が明かりを消した漆黒の
空に サーチライトが交叉する光の帯を見た 光に捕らえられたアメリカの飛行機B29
B29が撃墜されたと家族が声高に話していた 家から五キロほど北にある小さな集落
の 憎しみのるつぼにあえなく墜ちた飛行機 勝者の過信が起こした想定外の誤算
翌日学校から帰ると 目隠しをされ両手を縛られたB29の兵士達が トラックに乗せら
れ村道を通った 今も残る幼い日の恐怖と哀しみ
あれから66年 古傷から血が滴るように 記憶を喚起させる一編の文献に遭遇した
捕虜となったアメリカ兵を殴打し続けた村の男たち 兵士の両脚を男達が
一杯に開き女達が絶叫しながら兵士の股間を蹴り辱めた トラックが通る
道筋では待ち構えていた村人が竹槍や鳶口で兵士達に襲いかかった
精神を病んで死んでいった兵士 生きて祖国に帰っても悪夢にうなされ続
けた兵士 千年の静かな村の歴史の中で起こった一夜の暴力
戦争が人間を悪魔に豹変させた悲劇の村 「竹槍の村」 は箔箔と流れる大河に沿って
今もひっそりとある>
雑感アンソロ(5)
戦争は人間を、気狂わせる。
しかし、戦争に至るまでの人間の経済競争・独占競争こそ
既に、狂気以外の何物でもない。
ましてや、戦場の中においても、知恵ある人は、人を殺さなかったと
伝え聞く。
詩も音楽も芸術も人間自体も
平和の魂たる、知恵を深め広めるべく
この世にあることを、忘れてはならない。
改めて、その確信を強化する一詩あり。
「夏の夜の記憶」 清水マサ
<・・・・・・真夜中 空襲警報のサイレンで目が覚めた 村中が明かりを消した漆黒の
空に サーチライトが交叉する光の帯を見た 光に捕らえられたアメリカの飛行機B29
B29が撃墜されたと家族が声高に話していた 家から五キロほど北にある小さな集落
の 憎しみのるつぼにあえなく墜ちた飛行機 勝者の過信が起こした想定外の誤算
翌日学校から帰ると 目隠しをされ両手を縛られたB29の兵士達が トラックに乗せら
れ村道を通った 今も残る幼い日の恐怖と哀しみ
あれから66年 古傷から血が滴るように 記憶を喚起させる一編の文献に遭遇した
捕虜となったアメリカ兵を殴打し続けた村の男たち 兵士の両脚を男達が
一杯に開き女達が絶叫しながら兵士の股間を蹴り辱めた トラックが通る
道筋では待ち構えていた村人が竹槍や鳶口で兵士達に襲いかかった
精神を病んで死んでいった兵士 生きて祖国に帰っても悪夢にうなされ続
けた兵士 千年の静かな村の歴史の中で起こった一夜の暴力
戦争が人間を悪魔に豹変させた悲劇の村 「竹槍の村」 は箔箔と流れる大河に沿って
今もひっそりとある>
2011年10月23日
詩人下前幸一
<詩人下前幸一> 記 中尾彰秀 詩人・ピアニスト・ヒーラー
「アンソロジー風 2011」 竹林館 定価2500円 2011年 より
雑感アンソロ(4)
「めまい」
<ふわっと 視界が揺らいだ 運転席の春
軽いめまいに 物思いの 足がとられた
風景がたわみ そのポケットに落ちてしまった 想定の外 何か深いところで
2011年3月11日午後2時45分 大阪、路上にて
「非」の影が 今この場所に兆す 非日常 非合理 非想定 非正規 非現実 非存在
「非」の影が繁茂する
行き場のない問いが ゆらり足元に降りてくる
トラックの荷台が揺れた 風が通り抜けた と、思った
音もなく海が引き やがて断崖の速度で 殺到するもののことを
物思いの遥か東北で 物語も風景も 消えてしまった
深い一瞬のめまいに>
地球と身体は、結びついている。
多くの人は、地球の反対側の大災害にすら
頭痛など何らかの体調変化で、シグナルが来る。
この事実を、我々人間は知っておく必要がある。
偉そうに知識人振るあなたは特にね。もちろん政治家も。
会社の社長も。知事も市長も大臣も首相も。常識として。
詩人が知らなかったら、ただの恥である。
この詩人の場合、心にある非が、東北大震災に共鳴した。
科学的には、地球磁場変動による体内電磁波反応だ。
しかし、風景は消えたのではない。
地球創生のごとく、これから新たに出来てくるし、今現在も
風景である。別に大災害地を見に行かなくとも、私は30数年
前滞在したインド・ネパールにおいて、大自然の人間の生死
超え呑み込む地球エネルギーを目の当たりにし、魂の故郷に
している。
「アンソロジー風 2011」 竹林館 定価2500円 2011年 より
雑感アンソロ(4)
「めまい」
<ふわっと 視界が揺らいだ 運転席の春
軽いめまいに 物思いの 足がとられた
風景がたわみ そのポケットに落ちてしまった 想定の外 何か深いところで
2011年3月11日午後2時45分 大阪、路上にて
「非」の影が 今この場所に兆す 非日常 非合理 非想定 非正規 非現実 非存在
「非」の影が繁茂する
行き場のない問いが ゆらり足元に降りてくる
トラックの荷台が揺れた 風が通り抜けた と、思った
音もなく海が引き やがて断崖の速度で 殺到するもののことを
物思いの遥か東北で 物語も風景も 消えてしまった
深い一瞬のめまいに>
地球と身体は、結びついている。
多くの人は、地球の反対側の大災害にすら
頭痛など何らかの体調変化で、シグナルが来る。
この事実を、我々人間は知っておく必要がある。
偉そうに知識人振るあなたは特にね。もちろん政治家も。
会社の社長も。知事も市長も大臣も首相も。常識として。
詩人が知らなかったら、ただの恥である。
この詩人の場合、心にある非が、東北大震災に共鳴した。
科学的には、地球磁場変動による体内電磁波反応だ。
しかし、風景は消えたのではない。
地球創生のごとく、これから新たに出来てくるし、今現在も
風景である。別に大災害地を見に行かなくとも、私は30数年
前滞在したインド・ネパールにおいて、大自然の人間の生死
超え呑み込む地球エネルギーを目の当たりにし、魂の故郷に
している。