2011年10月25日
中尾高石ライブ
<中尾 高石ライブ> 記 中尾彰秀 詩人・ピアニスト・ヒーラー
2011年10月22日(土)
南海高石駅に降り立つやいなや
既に始まっていたイベント
25年前実施した
「中尾彰秀気踏写真展」は二つ隣
浜寺公園駅ギャラリーでだった
特急で通過してしまうから
もうほとんど忘れていたが
記憶の片鱗は光彩を放って
脳髄を走り回る
聞けばギャラリーは
今も続いているという
会場たる高石市中央公民館への道すがら
500円のシチューランチは
「ギャラリー虹」にて
自然食品流通の拠点とのこと
これからピアノライブですと言うと
あ、それ 井上先生にパンフもろてるで、と来た
人生は意識より先に食べ物ですね
名セリフ残し
この途上、井上ピアノ教室があった
生駒山を遠景に公園の西
静かに立つ中央公民館
2F大ホールは自動移動椅子
ピアノはCⅢでなくGⅢ ヤマハグランド
昔のピアノの良き自然な音響に加え
耳を澄ますと
聞こえる 聞こえる
川のせせらぎ
芦田川
海から来て海へ還る川
宇宙から来て宇宙へ還る川
生と死永遠を循環する川
体内を常に循環する川
宇宙一体
本物の音楽は
既にここにあり
愛と癒しと魂の調べ
中尾彰秀ピアノコンサート&詩朗読
内なる大自然より
やって来る やって来る
ピアノインプロヴィゼイション
アンド 波動の詩たち
当日は百人を越える入場者に驚かされる
企画していただいた
詩人吉田定一氏と松井館長
出演の音楽家・詩人の方々に
深く感謝いたします。
詳細は
改めての、公表・発表と記録において
といたします。
2011年10月22日(土)
南海高石駅に降り立つやいなや
既に始まっていたイベント
25年前実施した
「中尾彰秀気踏写真展」は二つ隣
浜寺公園駅ギャラリーでだった
特急で通過してしまうから
もうほとんど忘れていたが
記憶の片鱗は光彩を放って
脳髄を走り回る
聞けばギャラリーは
今も続いているという
会場たる高石市中央公民館への道すがら
500円のシチューランチは
「ギャラリー虹」にて
自然食品流通の拠点とのこと
これからピアノライブですと言うと
あ、それ 井上先生にパンフもろてるで、と来た
人生は意識より先に食べ物ですね
名セリフ残し
この途上、井上ピアノ教室があった
生駒山を遠景に公園の西
静かに立つ中央公民館
2F大ホールは自動移動椅子
ピアノはCⅢでなくGⅢ ヤマハグランド
昔のピアノの良き自然な音響に加え
耳を澄ますと
聞こえる 聞こえる
川のせせらぎ
芦田川
海から来て海へ還る川
宇宙から来て宇宙へ還る川
生と死永遠を循環する川
体内を常に循環する川
宇宙一体
本物の音楽は
既にここにあり
愛と癒しと魂の調べ
中尾彰秀ピアノコンサート&詩朗読
内なる大自然より
やって来る やって来る
ピアノインプロヴィゼイション
アンド 波動の詩たち
当日は百人を越える入場者に驚かされる
企画していただいた
詩人吉田定一氏と松井館長
出演の音楽家・詩人の方々に
深く感謝いたします。
詳細は
改めての、公表・発表と記録において
といたします。
2011年10月25日
詩人香山雅代
<詩人 香山雅代> 記 中尾彰秀 詩人・ピアニスト・ヒーラー
雑感アンソロ(8) 「アンソロジー風 Ⅹ」 竹林館より
この世の存在は、あらゆるものがあの世と表裏一体である。
雪にせよ。
生死一如、生きることは常に死をはらんで
なお、深い所は何処か遠い所ではなく
ここなのだ。
ふかいところ----------ふところ にあり
この指先の一点だ。
日常にそれを認識することは
人生を本物にする。
それを疑うものは、気功・レイキをし
本質の愛を深めましょうね。
瞑想は勿論。
日常ではない演劇風景あるいは
お能の一場面たる
一篇の詩。
「アルカデイア・雪ん子」 香山雅代
<はらり ふぅわり
絶えまなく 音無しの 切片が 降りてくる
にびいろの空から はら はらと それは とおく ふかいところからやってきて
消えてゆく 清楚な ふだん着と あたりに透ける懐かしい声を のせて
あわい闇のなかから 洩れる 不確かな光 春浅い庭の 瑞枝に垂る 雪の朝
雪ん子の 夢みる瞳が 嘆息もやらずねむっているおばあさんの頬にかさなる
漂泊の妖精が 無意味な訣別を告げにやってきた
絶えまなく あの世と この世を 紡ぐ 音無しの 切片が 降りてくる
くる年も ゆく年も 齢を 重ねて はら はらと 雪ん子は おばあさんの嘆息を
包んで 消えてゆく>
雑感アンソロ(8) 「アンソロジー風 Ⅹ」 竹林館より
この世の存在は、あらゆるものがあの世と表裏一体である。
雪にせよ。
生死一如、生きることは常に死をはらんで
なお、深い所は何処か遠い所ではなく
ここなのだ。
ふかいところ----------ふところ にあり
この指先の一点だ。
日常にそれを認識することは
人生を本物にする。
それを疑うものは、気功・レイキをし
本質の愛を深めましょうね。
瞑想は勿論。
日常ではない演劇風景あるいは
お能の一場面たる
一篇の詩。
「アルカデイア・雪ん子」 香山雅代
<はらり ふぅわり
絶えまなく 音無しの 切片が 降りてくる
にびいろの空から はら はらと それは とおく ふかいところからやってきて
消えてゆく 清楚な ふだん着と あたりに透ける懐かしい声を のせて
あわい闇のなかから 洩れる 不確かな光 春浅い庭の 瑞枝に垂る 雪の朝
雪ん子の 夢みる瞳が 嘆息もやらずねむっているおばあさんの頬にかさなる
漂泊の妖精が 無意味な訣別を告げにやってきた
絶えまなく あの世と この世を 紡ぐ 音無しの 切片が 降りてくる
くる年も ゆく年も 齢を 重ねて はら はらと 雪ん子は おばあさんの嘆息を
包んで 消えてゆく>